前回の記事の続きになります。
息子が小学校5年生になるまで続いた「小学校の登校しぶり」についてのお話です。
今回は、「幼稚園〜小学校での行きしぶりの様子の変化」
「学校を嫌がる息子への夫婦の対応」と、「それを通級の先生に伝えた時の反応」
また、通級の面談時に初めて他人に打ち明けた「私も小〜中学校が苦痛だったという過去」、「それに対する通級の先生の反応から感じたこと」を書かせていただきたいと思います。
通級の先生との対話は、一回でのやりとりでのものではなく、
約2年間、断続的に私が登校しぶりについて相談していた中で得られた情報や、先生の反応をまとめたものです。
通級の先生がたは、私が投げかけた曖昧な言葉や疑問に対しても、ストレートな言葉で返してくださり、
通級に通ったことは、親である私が息子以上に影響を受け、学びになったと思います。
もしもどこかに、私と同じような感情を抱えて悩んでいる方がらいしたらと思い、今回は思い切って私自身のことも書かせていただくことにしました。
思い返すと、幼稚園から行きしぶりはあった
思い返すと、ラズくんは幼稚園時代にも、行きたくない時期とすんなり行ける時期とで波があった気がしますが、結構な確率で行きしぶりがあった気がします……。
ラズくんは登園前によく泣いたので、しばらくベランダに出て、抱っこして鳥の声に耳を傾けたり景色を見て話しかけたりして、気持ちを落ち着かせようとしていましたが、ほぼ失敗に終わりました(・_・;
困ってはいましたが、「登園をしぶること」と「発達に不安があること」は、当時の私の中ではなぜか繋がっていませんでした。
振り返ると、当時の自分はすごく場当たり的な対応をしていたような気がします……。
また、同じバス停に、他にも登園を渋っていたお子さんがいたことと、先輩ママさんの
「あるある。でも心配しなくても、男の先生が運んでいってくれるから大丈夫だよ😁」
という、大らかな反応に、
「みんな行きたくないものなんなだあ」
と納得した程度で、大して問題視していませんでした。ですので幼稚園の先生に、渋ることを相談したこともありませんでした。
また、「お着替えがうまくできないから嫌だ」など明確な理由を言う時もあったので、
理由を言わない時でも「なんとなく今日は気がすすまない」みたいな気分的なものも含め、何か彼なりの理由があって行きたくないのだろうなと思っていました。
(その日はお休みして自宅でお着替えのリハーサルをしてみて、動画にも撮って「上手くできてるよ」と安心させて翌日は送り出しました。)
通っていた幼稚園は、ラズくんが大好きな長い滑り台や、屋内アスレチックなど魅力的な遊具がたくさんある、山猿のように育つとも囁かれていた「のびのび系の幼稚園」でした。
時間外預かりも充実していたし、個性のあるお子さんも多く集まっていて、先生がたは本当に大変そうでしたが💦 ラズくんは幼稚園では楽しそうにしていました。
ただ、手遊びやリトミックのような時間はほぼ参加していませんでした(・・;)
お遊戯会や運動会ではそれなりに動けていたので、先生がたがよほど頑張ってくださったのだと思います😵
幼稚園への行きしぶりがもっとも酷かったのは年少さんの時で、その後はあったりなかったりでした。
行きしぶりが本格化したのは小学校から
小学校に上がると、最初のころは普通に登校できていましたが、1〜2週間ですぐに行きしぶりが始まりました。
幼稚園で慣れていたので、「いつもの感じが来たな」と思っていましたが、小学校の行きしぶりは幼稚園の時のものとは感じが違っていました。
「学校が嫌だ」と言う回数が比ではなく、帰宅してから寝るまで断続的に言い続けていました。
学校がない休みの日も、それが長期休みでも、遊びに出かけていても帰省していても、学校がある時と変わらぬテンションで嫌だと言い続けました。
朝は玄関で靴を履くと「学校やだー、学校やだー」とひとしきりしぶるので、行くのやめる? いいよ休んでも、と言っても「休まない」と答え、ギューッと強くしがみつく、みたいな流れが常でした。
通学班の子達で約束している時間ギリギリまでそうしていて、私が「時間だよ」というと、パッと離れて慌てたように出て行く姿に胸が痛くなりました。
我が家の夫婦の対応
学校が嫌だと訴える息子を相手に、私と夫がとった行動を書かせていただきます。
<夫婦の対応>
私の場合 無駄なあがき
TOP画像になっているのは、ラズくんが2年生になるくらいの頃に持ちかけた、私の思いつきのゲームです。
昔、ハウス食品名作劇場で「愛少女ポリアンナ物語」というアニメを放映していました。
内容は全く記憶にないのですが、「よかった!」というセリフと、ポリアンナが「良かった探し」ということをしていたのを覚えています。
その「良かった探し」みたいなことをラズくんにやらせようと思ったのです。
実際はポリアンナのようにはうまくいかず、今思うと何の意味もありませんでした😅
(検索したら、日本アニメーションのサイトで1話を見れました。こんな話だったんですね! そして工藤夕貴の歌かわいい☺️)
画像の海賊っぽいネコは、世界を旅している設定で、今はアメリカ(適当)にいます。
ラズくんが学校で良かったなと思うことを見つけられたら、1日3つまで、ネコがアメリカでゲットしたお宝カードと交換してくれます。
そのカードを30枚集めると、本物のお宝(ご褒美)が手に入るというルールにしました。
ノートに1日半ページずつ、日記のように良かったことを書けるように、スペースをあけて
給食のメニューや行事予定表を頼りに、親目線で「ラズくんが喜びそうだな」と思うことを探しヒントとして書いておきました。
たとえば、ラズくんの好物だったキナコ揚げパンが出る日には、😻「キナコ揚げパン美味しそうだな」みたいにです。
最後のご褒美を何にしたのか記憶にないのですが(・_・;
リビングに「お宝の地図」を置いておいて、ラズくんが帰宅したら気づくようにしました。
「グーニーズ」に登場するフラッテリー一家のレストランの位置を記した「ウィリーの宝の地図」のような感じを演出しました。
「三歩歩いて横を見ろ、そこにある穴を探れ」みたいな感じです。
最終的には、家から徒歩1分くらいの小さな公園のゴミ箱付近に何かを隠した覚えがあります。
ベンチくらいしかない小さな広場なので普段は誰もいないのですが、無くなっていないかヒヤヒヤしました😅
当然、この無意味なゲームでラズくんの登校しぶりが無くなることはありませんでしたが
「どうやら私は完全に明後日の方向を見ているらしい」という重大な勘違いに気づかせてくれました💦
私の失敗した感ややるせなさとは関係なしに、単純にこのゲームと猫のキャラクターを、ラズくんは気に入ってくれたようで、それから時々「ネコ今どうしてる?」と訊いてきたり、私にも似たようなものを作ってくれました。↓
「ラズくんがゲームを楽しんでくれたらしい」という、こうした形跡だけが今となっては救いです😂
<夫婦の対応>
夫の場合 ナゾの張り合い
その頃の夫は深夜帰りが多く、あまりラズくんと顔を合わせることがありませんでしたが、たまに早く帰宅したときにラズくんの「学校嫌だコール」を聞かされると、
「学校が嫌だとか言ってんの?! 俺だって仕事行きたくねーよ!!」
と、ラズくんと張り合うようになりました。
それでも続くとヒートアップし、
夫「 そんなに行きたくないなら今から学校行って💣🔥😨してきてやる! そしたら望み通り学校なくなるぞ! ヒャッハー!! (۶`∀´)۶」 (謎の煽り)
ラズくん、玄関に向かう夫に追いすがりながら「やめてーー! 😭」
という攻防戦(茶番?)が本当に繰り広げられていました。
疲れて帰ってきたところにずっとラズくんが訴えるので、本当にウンザリしたのだとは思いますが、正直一緒に暮らしていて頭がおかしくなりそうでした😨
通級の先生の意外な反応
通級の先生とお話ししている時に「お父様はどういった反応をされるんですか?」と訊かれたことがありました。
私の見当はずれなゲームが意味なかった事については通級に通う前の面談で話してありましたが、父親の対応も気になったのだと思います。
さすがに煽りの部分は言えなかったのですが(・・;)「俺だって仕事いきたくねーよ」のくだりは言ってみました。
すると「いいですね!」と意外な反応が返ってきて驚きました。
「大人だって行きたくない時があるけど仕事に行ってるんだ、ということが分かっていいと思います。
私もラズくんに、『春休みが終わったら次はゴールデンウィークだからそれまで頑張ろう。みたいに次の休みを楽しみにしながら働いてるんだよ』って説明したんですよ」
とおっしゃっていました。
なるほど、そういうものか、確かにそうだな、というか、その感情は子供に言っていいものなんだ、と思いました。
また、私が最初に通級で面談したときに、担当の先生から確認されたことがありました。
「お母様はどういった思いでここ(通級)を訪ねられたのですか?」
ということです。
同時に「ゴールを決めてください」とも言われました。
直接的なきっかけは以前の記事(小学校の宿題②「発達検査でわかった辛さの原因」)に書きましたが、それとは別に、「息子にどうなって欲しくて通級に通おうとしているのか」ということを明確にしておきたいようでした。
私はそこで強くこみ上げてくる感情がありました。それは、私自身の辛さについてでした。
私の身の回りには生きづらくなってしまった人達が複数います。
身内や親友など近いところにです。様々な心の病にかかってしまったり亡くなってしまったりしたのを見てきました。
息子が同じように将来なってしまったらどうしよう、という恐れをずっと抱きながら育ててきました。
自分の育て方に自信もありませんでした。
また、私は小学生から中学生にかけての記憶がグレーがかっています。
よくいう黒歴史という感じでしょうか?
思い返すと、ラズくんと似たような特性は確かに私の中にもありましたが、ざっと過去を見渡しても、いじめられていたわけでもなく友達も普通にいて、喧嘩をしたり笑ったりしながら過ごせましたし、勉強についていけなかったわけでもありませんでした。
細かい視点でいうと、忘れ物が多かったり、持ち物をよく失くしてしまうか壊してしまったまま使っていたり、そのような小さな失敗は本当に多く、よく親に怒られていたのと、いじめられていた子を助けてからクラスの女子のひそひそ話に入れてもらえなくなったり、学級崩壊したクラスに怒り爆発してしまい、多くの男子を敵に回してしまったり(・・;)
細かいネガティブ要素が積もり積もって私の記憶を曇らせていたのでしょうけれど、その時々で気の合う友達はいましたし経済的に見ても困難な環境ではありませんでした。
ですが日々が辛く、目覚めると、今日も朝がきてしまった……と呟く勢いで
毎日が息苦しくてあまり楽しいという感覚もなくて、小学生の頃は、あと◯年もこの生活が続くのか……、と進級するたびに(なぜか図書室で)絶望していたのを覚えています😅
それから、私は小さい頃不注意からか、すり傷や打ち身が良くあったり(今もよく怪我しますが)😅、お腹が痛かったり気持ちが悪かったりしたのと、いつも心配事がありました。
「あの時ああ言ってしまったけど、言葉の選択を間違えた」とか、「あの人があんな反応をしたのは私の適切ではない言動に気を悪くしたからに違いない」とか「あれどこに行ったっけ? 見つかるかな? 」とか、「今晩あのことで親に怒られる……」とか、常に悩みがありました。
何も心配事がない時は、「あれ? 今日は何も悩みがないし、体調も悪くない。そんなことある? 本当に何も悩みなかったっけ」と逆に不安になったりもしました(・・;)
もちろん、そんな辛さや心境は、親や先生に言ったことがありませんでした。
親はいつも忙しそうにしていましたし、私がそんなことを言っても「何くだらないこといってんだ」と、呆れられるだろうと思っていたのと、全体的に自分というものを恥じていたからです。
同級生たちがニコニコしているのをみて、全員にインタビューしたかったです。
心の底から楽しくてそんな風に笑ってるのか。悩みや心配事がないのか。
みんなそれなりに辛いことがあっても、我慢して笑ってるものなのかどうか。
子供のときに心底知りたかったことでした。
中学1年生のとき、担任の先生が家庭訪問の時に、親に言ったという言葉が衝撃でした。
みんな中学生になって期待で目をキラキラさせているのに、私だけが違う。家庭で思い当たることはないですか? と尋ねられたそうです。
怖い、自分の恥じている部分を見透かされた、と思いました。
それから学校では一段と意識して、楽しそうに見えるように過ごしたつもりです😅
これらの黒歴史は大人になっても誰にも言ったことがなく、墓場までもっていくつもりくらいの記憶だったのですが、不思議とこの日、通級の先生に言ってみよう、という気が起きました。
「小学生時代に絶望していたこと」
「自分だけ目が輝いていないと言われたこと」と、
「自分も学校が嫌だったけれど、もっと前向きに過ごせていたら、いい経験や思い出が得られたのではないかと後悔している。息子の学生時代が私のような灰色の記憶になってほしくないと思った」
という3つを話しました。
すると先生は、私が小学生時代に「あと◯年……」と絶望していたことを、
なんと声をあげて笑ってくれました。
「別にみんながみんな学校で目を輝かせてなきゃいけない、なんてことないですよ」
とも言ってくださいました。
サラッとそう返されて、拍子抜けしたと同時に、なんだそうか、とも思いました。
今この文章を書きながら思ったのですが、私も息子の登校しぶりを、そんな風に受け入れてあげれば良かったです。
ラズくんの変化
さて、通級の先生がもう一点尋ねてきた「ゴール」ですが、
「ラズくんにとって学校が辛くなくなること」と希望をお伝えしました。
ラズくんと私は4年生の終わりに「ゴール」を迎え、通級を卒業しました。
学校が嫌だと言っていたラズくんがどのように変化していったのか、学校での出来事もふくめ、時系列で並べてみましたが、とっても長くなったのと、記録の羅列なので、興味のない方もいらっしゃると思うので、
通級の先生との面談追記、
登校しぶりがなくなったことに関係しているかもしれなかったこと(総括)がありますので、そちらへどうぞ。
<約2年間にわたる息子の変化の記録>
今回は学校に関係している出来事や記録だけを抜粋しました。
(日常生活系や家族個人的なこと、通級のワークに関しては省略しています)
青字は当時の私からの視点、赤字は担任の先生、緑字は通級の先生からのコメントです。
★印の部分は現在の私の感想です。
3年生秋
通級の連絡帳を見ると、
上に書いた時間ギリギリまで玄関ドアの前でしぶるという様子は、3年生の9月頃まで続いたようです。
その翌月の3年生の10月には、「困ったことを伝えられるようになったってきたので、学校で1人でイライラしていることがとても少なくなった」と担任の先生からの連絡帳に書かれていますが、
前のブログで書いた「鏡を使った実験でのイライラ」がこの翌月にあったので、イライラ問題はまだまだあったようです(・_・;
また翌々週の連絡帳に、「宿題に取り組む時間が減ってきたので生活にゆとりがでてきた」と私が書いていますが、「学校が嫌だという感情が強くなったようだ」ともあります。
通級では「自分は気持ちのコントロールが苦手だから、コントロールできるようになりたい」とラズくんは言っていたようです。
3年生大縄跳び
「大縄跳びが苦手なお友達が練習するので、ラズくんが縄を回さない? 先生が合わせて回すから大丈夫だよ」と担任の先生が声をかけてくださり、練習に参加しようとしないラズくんを回し手として関わらせてくださったそうです。
私の方の記録では、大縄跳び大会の本番の前の日の夜、「明日は出ない、教室にいる」とベッドで泣き出したので、
「見に行くから、跳べなくてもいいから出てみようよ」と言ったら頷いたとあります。
本番では、タイミングに合わせて後ろの子が「ドン!!」ってかなり強めに背中を押してくれて、追いかけてくる縄から逃げるように、へっぴり腰で通り抜けていました。笑
(大縄は通り抜けでもポイントが入るルールでした)
息子はすごくビビリで慎重なので、強く押さないと、いつまでたっても縄に入っていけなかったのだと思います(・・;)
それできっと「押す係」を引き受けてくれたお子さんがいたのだと思います。
1回は引っかかってしまい、地面を蹴って怒っていましたが、2回目には通れて笑顔になっていました。
担任の先生の記録によりますと、大縄当日は休み時間がなくなったと不満げでしたが(休み時間を利用して行っていたので)、
通り抜けられてニコニコしていた、また、クラスのお子さんから「それでいいんだよ」とか「いいじゃん!」と声をかけてもらいニコニコしていた、とありました。
★私が遠くからみていた光景の中で、そのような出来事が起きていたんだな、と思います。
「勝ちたい」という気持ちに折り合いをつけた上で、うまく跳べない仲間へ配慮できるお子さんたち、そうした雰囲気にクラスを導いてくださった先生には感謝するばかりです。
3年生避難訓練
3年生の頃は避難訓練一週間前くらいからぼやきが始まり、前日は完全にナーバスになっていました。
(担任の先生には、避難訓練の警報がいつ鳴るか分からない状況がドキドキするようで、ナーバスになることをお伝えしました)
★ラズくんは避難訓練が苦手で、中学生の今でも嫌がっています(・・;)
3年の冬くらいから「困ったことを伝えられるようになった」という担任の先生からのコメントが頻繁に出てくるようになりました。
例えば、息子は「雰囲気を見て適当なコメントを時間内に書く」ということが苦手です。
「クラスみんなの作品の中から気に入ったものを一つ選んで感想をコメントする」ということや
「今日の授業の感想」や、「やってみて感じたこと」みたいなことも、その場でサラッと書くことができず、真っ白のままの紙がよくランドセルに入っていました。
このことは通級の先生にも相談しましたが、
「適当に書くとか、そういうことが出来たら通級に来ているような子たちはみんな苦しんでいませんよ〜」という反応で、これは時間をかけて克服していく(もしくは克服しようとせずに工夫する)課題なんだな、と捉えることができました。
そのような苦手な作業がある時に「どんなふうに書いたらいいかな?」「次は何を書いたらいいかな?」などと訊けるようになってきたようです。
また、先生からも、私からも「明るい笑顔が増えた」と度々書いてあり、宿題は嫌だけど「家で不機嫌でいる時間が減った」ともありました。
11月
「(以前の記事で触れた)筆箱に貼ったマスキングの指示を見ながら授業準備を頑張っている」と担任の先生からコメントをいただきました。
「最近頑張ってるね」と褒めてくれたお友達もいたとか。
一方で私の方からは「学校でレクに参加しなかったか、したく無かったかで、不機嫌で帰宅し、その後の習い事でも不機嫌だった。気持ちの切り替えが難しいようだ」
1月
苦手な子
私「苦手なお友達がいるらしく、その子の体操着が週末の荷物に入っていた。
返すときに『どうしても話したくない』というので手紙を入れた(そのお子さんのお家に電話が繋がらなかったため)。
通級で習った『嫌いな子の良いところ』も『ない!!』と頑なになっているので、様子をみようと思っている。
体操着を返す時は『嫌な雰囲気にはならなかった』とのことで安心した。」
とあり、相変わらず苦手な子もいました。
通級でこうしたお子さんたちのことを「『あんまり話したくないんだけど、ヤな言葉でいじめてくる人がいる』と説明していた」そうです。
★「通級に通っている」という事実は、ラズくんは「別に内緒にしなくていい」ということでしたので私はかなりオープンにしていました。
クラスの全員が知っていたと思います。
それは、こうしたちょっかいを出してくるお子さんに「気になるかもしれないけど、ちょっと今はお手柔らかにお願いします」という願いを込めてもいましたが、
実際に4年生くらいからラズくんにちょっかいを出してくるお子さんは、全く居なくなり助かりました😅
私もPTAや町内会などでしょっちゅう子供たちと関わっていたので、(活発なお子さんほどお祭りやイベントを楽しんでいたので)私の手前ちょっかい出しづらくなったのかもしれませんが(・_・;
通級の先生「自己理解が進んできた。
通級のグループワークのみんなで協力して記憶するゲームで『僕は覚えるのが苦手だからこことここを覚えるけど、どう?』と言えたり、『ここが心配だから合ってるか見て?』などと自分の苦手なことをお友達に伝え、協力を頼めるようになった」ようです。
2月
担任の先生より「学校で笑顔がとても増えました」
「友達の誕生日会にドッヂボールをやったが、『参加しない』と教室にいた。最後の5分くらいに来て参加し、笑顔だった。『ラズくんすごく楽しそうだね』と友達も言っていた」
春休み
私「毎日学校が嫌だと言いながらも、のびのびと休みを過ごした。以前と比べると楽しそうな時間が増えた。
漢字を間違えると『負けたように悔しい』と癇癪を起こす」
4年生
4月
担任の先生より「去年同じクラスだった子以外とも話したり遊んだりする姿が見れた」
★このころ、初めて安定的に仲の良くなったお友達ができました。
(低学年の頃に少し仲良くなりかけたお子さんがいましたが、不登校になり会えなくなってしまいました)
3年生から同じクラスだったお子さん(Aくんとします)とは、トラブルになったり仲良くなったりを繰り返す謎な関係でしたが、4年生になってやっと普通に仲良くなれました。
もう1人のお子さんをBくんとします。
2人とも息子と似たようなタイプの少し幼い感じですが、どんどん話しかけてくれる積極的なお子さんで可愛かったです(^^) 幼いラズくんとウマがあったのだと思います。
AくんBくん同士も仲が良かったのですが、小学校最後、息子が受験にかかりきりになっていた間に揉めてしまったようで、なんとなくスッキリしない雰囲気で卒業しました……。
この記事に書いた「交通安全教室」も4月にありました。
通級の担当の先生が変わりました。
温かい眼差しで母子を受け入れてくれる「優しいおばあちゃん」風な先生から、ストレートに突っ込んでくださるキレキレな先生へ。
通級の先生「1日を振り返って『良かったこと、イマイチだったこと』を挙げるときに、イマイチだったことを頑なに『言いたくない』。
理由は『恥ずかしい。言うと先生と仲良くなれなそうだから』」
通級に来ているお子さんは「秘密」で通してしまうお子さんが多いそうで「割と理由をうまく説明できていた」と書いてくださっています。
5月
先生より「日直のスピーチの時間に、『今は(スピーチを)言えない』、としっかりと言うことができた。中休みに自由帳に書いて練習して、4時間目に見ないでスピーチをすることができた」
★スピーチの時間があり、みんなそれぞれその場で考えて話している、ということを、この時初めて知りました。
それ以来、スピーチの日が近づいて来たら、自宅で文章を作って練習するようにしました。
6月
私より「今までは授業準備ができなかったけれど、急に『これからは普通の人みたいにやろうと思う。そう思う出来事があった』と。
翌日できたか訊いてみたが『できなかった』。が、そういう気持ちになったことが親としては嬉しかった」
→通級の先生「(準備しようと思ったきっかけの出来事とは)どんな出来事だったのか」と訊いてみたけれど、『言えない』と硬く口を閉ざしていた」
★私にも教えてくれませんでした。
(「誰かに何かを言われたとかでは無い」と言っていました)
「通級に通う子は秘密主義が多いけれど、多少マイナスな出来事でも『誰かに言える(相談できる)ようになる』というのが、人と関わって生きていくために重要になってくる。そのためにも伝える力を育てる必要がある」ということを教えていただきました。
息子にも「難しいことだからいますぐできなくてもいい、でも自分を助けてくれる大切な力だからできるようになってほしい」と説明してくださったそうです。
7月
私「体育の『鉄棒は何もできない』『プールで浮かないことが分かった』と言っていたが、プールを見に行ったママ友さんから『楽しそうにしていたよ』」
★後日私も見に行ったら、学年で1人だけ腕と胴にヘルパーを巻き、ビート板を持つという重装備でしたが楽しそうでした😅 ちょっと笑ってしまいました。スイミング3年通ってこれですので(・・;)
担任の先生より「波の出るプールを作ったところキャッキャと楽しんでいたけれど、最後は怖くなって壁に張り付いていた」
私「帰宅したらまず遊びたい、という本人の希望で、自宅学習に入る前に一時間遊び時間を作っているが、なかなか勉強への切り替えが難しいので対策を考えている」
★学習への切り替えには苦労しましたが、この記事に書いたカウントダウン方式を使って少しずつ切り替えがうまくいくようになってきました。(15分オマケ、はよくつけました😅)
担任の先生「夏休みの宿題を見て『多いよ、こんなにできない』と言っていた」
(後日「1日1ページやれば終わるよ」とフォローしてくださったということも仰っていました)
このことも、↑上のリンク先記事に書いてあります。
9月
担任の先生「大縄の練習に最初は『行きたくない』と言ったけれど、初めて一回跳べた。クラスのお友達に『すごい! やったね! 』と言ってもらい照れくさそうにしていた」
私「学校が嫌だ、とは口にするものの、学校に行く姿が明るくなってきた。『行ってきます』と元気に出て行く様子も見られるようになった。
大縄の練習も去年までよりも過剰に反応せず『呼ばれた時は参加している』とのこと。
大きな問題がなく落ち着いて過ごしている」
10月
私「夏休みの自由研究を科学展に出していただくことになり、家族で見にいった」
★自由研究は工程をたてスケジューリングをし「それなりに見応えのある作品を期間内に仕上げる」という経験をする、滅多にない機会だと思って1年生から気合を入れて関わってきました。
ラズくんの興味あることを普段の会話からリストアップしておいて、その中からやりたいテーマを選ばせ、やり方を一緒に考えて仕上げていきました。
ラズくんの好きなものに特化していたので、特に賞を狙ったりはしていませんでしたが、しっかりした展示物が出せれば成功体験になるのではないかと期待していました。
結果、3年の工作と4年の自由研究で学校代表に選んでいただき、本人の自信につながったようで嬉しかったです。
通級「頑固モードや嘘も方便もクリアしてきたし、グループワークで勝ち負けが頻繁に入ってきても頑張れるよね? にニコッと笑い頷いた」
4年生大縄跳び
担任の先生「大縄で後ろの子が背を押すのは嫌かと尋ねたら『押して大丈夫』押してもらえば間隔を開けずに跳ぶことができるようになった。練習を嫌がることがなくなった」
私「大縄大会は渋ることなく参加できた。クラスで100回以上跳べたことも話してくれた」
「塾に通い始めたことにより、自宅での学習がスムーズに進むようになって来た」
4年生避難訓練
配慮なのかたまたまかは分からないのですが、4年生の避難訓練は「◯時間目の休み時間にある」と予告されたようです。
その後の学年ではどうだったか、忘れてしまいました(・・;)
6年時はコロナでなくなったかもしれません。
11月
私「校外学習が続いて気分が変わったからか、初めて2日間の間、一度も『学校が嫌だ』と口にすることがなかった」
「忘れ物が目立ったので気をつけてみていきたい」
担任の先生「今までは授業準備を本人に直接言わないとできなかったのが、最近は全体指導でも気づくことができている」
「忘れ物があっても自分から言いに来て、忘れたらどうしたらいいのかと自分できけるようになっている」
12月
通級の先生
「自分の変えたいところは『集中力をなくすところ』『学校でもプリントが2枚目になるとやる気が無くなってしまう』」
「特性ある子は自己理解をし、どう対処するかを考えることがとても大切だが、ずいぶん自分を客観視できるようになってきている」
私「お友達の帽子を間違えて持って帰って来た。ごめんね、と言って返すように言ったが、『仲の良いお友達以外とは話せない』。
心配だったが、朝一番に返せたようで安心した」
1月
担任の先生「休み時間のドッヂボールに最後まで参加していた」
私「『学校は嫌だと思うけど、行ってみるとAくんやBくんと会えて楽しい。だから行きたい』こんなことを言うのは初めてだったので驚いた。
その後も学校嫌だとは言っていたけれど、少しずつ変化があるのかなと思った。
学童から1人で帰って15分ほど留守番ができるようになった。でもまだ15分以上の留守番が不安なようだ。40分留守番してみたら、パソコンのGPSで私の位置を確認し、不安がっていた」
2月
担任の先生「図工で木工をうまく組み立てられず少し泣いたが、ボンドをゆっくり乾かし、釘を打ち、とゆっくり行なったら完成して笑顔になった」
「『もうすこし調べたいことがあるからパソコン室に行きたい』と自分からやりたいことを言えたので成長を感じた」
通級の先生「“できないからやりたくない” が無くなった。『今も体育でボールのキャッチができないけれどやっている。そこまで嫌という気持ちにはならない』とのこと」
「通級で何を勉強してきたと思ってる? との問いに『心をコントロールすること』
(留守番など不安だからできない……ということに対し)
『勝負に最後まで参加する』や『自転車に乗る』が今は当たり前にできるようになったように、出来なかったことが1年後にはできるようになるよ。不安だけど頑張ってみる、の気持ちを大切にすれば大丈夫! と励ましました」
私「『学校が嫌だ』も最近はほとんど聞かなくなり、朝元気に登校するようになりました。
温かく見守っていただき、ありがとうございました」
★41回分の連絡帳を見直したのですが、改めて、
……ほんとに担任の先生に手間をかけさせてしまっていました😵
40人近くの生徒がいる中で、我が子にこんなに対応していただき、本当申し訳なかったなと感じました。
おかげさまで、ラズくんは見違えるように成長しました。いや、一番成長したのは私かもしれません、スタートがダメすぎて(・・;)
通級の先生がたも、同じ経験をしていた
追加で、とても驚いたことがあったので、書かせていただきます。
通級の先生方との面談のお話に戻ります。
親である私も「小学校が辛かったこと」を通級の先生に話したとき、
「いつぐらいに楽になりましたか?」と訊かれました。
「自分の中の独特な悩みごと」は大人になってもずっと付きまといましたが
「学生生活の息苦しさ、退屈さ」に関しては中学に少しだけ楽になり、高校で完全に消えました。
高校は電車通学で行動の自由度が増したのと、物を紛失したり忘れたりしても「自分でなんとか対処する」ということができるようになってきたので、かなり気も楽になりました。
「私は中学から高校にかけて徐々に楽になりました」
そう答えました。すると、
「我々の中にも学校が辛かった、という者が結構いるんですよ」
とおっしゃられました。
「でもだいたいみんな高校くらいに楽になったって言ってます。やっぱり小中くらいまでは辛かったな〜と言う人が多いです」
と教えてくれました。
そうなんだ! じゃあラズくんも高校生くらいまでには楽になれるかもしれない。
と、底なし沼にハマったような心境だった私は、一応は終わりがありそうだと安心したと同時に、
「どうやら、私がおかしかったわけじゃなかったようだ。グレーがかってしまった私の学生時代は過ちみたいなものではなく、自分ではコントロールできない類の、仕方がなかった事だったんだ」と、
とても気が楽になりました。
登校しぶりがなくなったことに関係しているかもしれないこと
だいぶ長くなってしまいましたが💦
この機会なので、まとめさせていただきます🙇♀️
もしも続けて読んでくださっている方がいらっしゃったら、かなり疲れると思いますが、すみません。
通級での取り組みやラズくんの成長以外で、学校が楽になったことに関係しているかな? と思えた出来事や、気をつけていたことを書いてみます。
(我が家の場合ですが)
●ウマの合うお友達ができた
これは大きいと思います。
2年生の頃に1人お友達ができかけたのですが、そのお子さんはすぐに不登校になってしまい、4年生くらいまで特定のお友達はいませんでした。
4年生の夏くらいに急に仲良くなったAくんやBくんとは、お祭りや地域のイベントで顔を合わせて一緒に過ごしたり、放課後に遊んだこともありました。
●日能研に通い始めた
息子が楽になっていった背景には、「塾に通い始めた」ということも関係していると考えています。
息子自身も「塾で学校が霞んだ」(笑)と言っています。
今までの習い事は、苦手なことばかり(運動系)通わせていたので、
塾という「息子にとってフェアに戦える土俵」を得られたことで自信がつき、また学校以外に実力を発揮できる居場所があることで、「ちょっとアウェイな場所である学校」とも余裕をもって付き合うことができるようになったのかもしれません。
水泳と武道の習い事についてはまた機会があったら書きたいですが、遊びのように緩かったので息子は楽しんで通っていました。ですが上達することもありませんでした。
(あと今まですっかり忘れていたのですが、1年か2年くらいまで書道も習っていました😱)
●朝の送り出しに気をつけていた事
それから、私は毎朝家を出る時は、どんなに息子がやらかしたとしても、リセットし気持ちよく送り出そうと心がけていました。今でもそうしています。
(寝る時も「明日会えるのを楽しみにしてるね〜!」と毎晩言うようにしています)
息子の心に、家庭に関してのわだかまりが残らないように注意しています。
私が小学校時代に毎朝よく怒られていたので(笑)その反動もありますが😅
心にわだかまりがあると、ラズくんのようなタイプは特にですが、他のお子さんと同じスタートラインに立てないのではないか、と危惧しています。
●休日好きなことをしている時間があることを意識させるようにしていた
長期休みやGWに楽しくパソコンやゲームをして遊んでいる時に、
「学校大変だけどさ、今みたいにゆっくり過ごせる時ってちゃんと来るね! 楽しいでしょ? 今の気持ちを忘れないようにしようね」
と確認させるようにしています😅
(休日が終わってから言うのではなく、楽しい最中に言うようにしています)
私もですが、大変だとすぐに休日の楽しさを忘れてしまい、忘れると絶望するので(・・;)
頑張ったあとには娯楽にハマれる時もちゃんと来るし、とても楽しい! それを繰り返して過ごしている、ということを思い出せるように、刷り込むようにしています。
●「困っていることを言語化し、誰かに相談することができる力」をつけていくこと、
また「家庭が相談しやすい場所であろうとすること」
この2点はこの先も息子を育てて行く上での命題だと思っています。
通級でも「困ったことを相談できるように導いていく」ことはとても重視していたので、ラズくんが大人になっていくまでに必要な、大切な力なのだと感じます。
誰かに相談する力があれば、私もこんなおばさんになるまで後ろ暗い自分を引きずることなんてなかったかもしれません。
私の大切な人たちも、伝える力がもしかしたら弱かったのかもしれません。
まるで自分自身に語りかけるような話し方で、私に話してくれることが度々ありました。
どうせ分からないでしょう? と突き放されたような気持ちになっていましたが、
「それってどういうことなの? 分かりたいからもっと詳しく教えて」ってしつこく訊けばよかったのだと悔やんでいます。
今となってはそんなことを考えても遅いですし、仕方ないのですけれど……。
話がだいぶあちこちに飛んでしまい、読みにくい内容になってしまいましたが、
今回は登校しぶりについて、我が家の体験したことを中心に書かせていただきました。
思いの外 重たい感じになってしまったので、次は勉強系か軽いお話が書きたいな〜と思っています。
長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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