ごあいさつ
はじめまして、「凸凹くんの母」と申します。
中学2年生の息子と夫と3人で関東に暮らしています。
息子の名前は「ラズくん」とさせていただきます。
息子は幼少期から発達に不安があり2回発達検査を受けましたがずっと様子見でした。
ですが、小学校に入ってから問題が噴出し、3年生から4年生の終わりごろまで2年間通級に通っていました。
小学校にいる間は宿題や授業が苦痛で、登校しぶりが酷かったのですが、不思議なことに進学塾には普通に通うことができ、いわゆる難関校に位置する私立中学に入学することができました。
このブログでは入学した中学校の偏差値を、区切りの良い数字で「65」としています。
学校名が特定できてしまいそうなので、実際はその付近、誤差1〜2とぼやかさせてください。
学校名を出そうかどうか迷ったのですが、まずはそうさせていだくことにしました。
直前期の対策についても触れたいため、塾名は「日能研」と明記いたします。
入塾は4年生の秋で、WA3クラスから始まって約一年間でGM1まで上がり、ほぼギリギリの偏差値で志望校の冠日特を受けることができました。
「発達に不安があり」「入塾も遅いほうで」「合格可能性30〜40%」だったけど、勝利を掴み取った。
我ながら、なかなか希望が持てる話ではないかな〜? と思いました。
このブログでは、
・私たち親子のこれまでの歩み
・集中力や忍耐力、処理能力や馬力に欠ける凸凹くんのための勉強の工夫
この2点を交えながら、中学受験体験記を記していこうと思っています。
工夫といってもすごい事はしていません。
些細な思いつきや、気の持ちようみたいなものが多いです。
ラズくん父は中受経験者ですが直前期まではほぼノータッチ、ずっと関わってきた母は知識ゼロからのスタートでした。
私は要領がわるく、すぐキャパオーバーになってしまうので、ネットで情報を集める余裕があまりなく、数冊の本やママ友から得た情報だけが頼りでした。
6年生の夏くらいから同じ塾に通っているご家庭のブログ2つに通い始めましたが、やはり時間がなく頻繁には読みに行けませんでした。
そんなわけで、すごい情報はありませんが、やっていくうちに知ったこと、二人目がいたらこういう手順でやったな! という事は書けるので、ここに記していきたいと思います。
私は凸凹くん母というだけあって記憶がすぐ飛びますので、中受体験記は1年以内に書き終えることを目標にしてみます。
あ、円周率3.14の段の歌を作ったので、準備できたら紹介させていただきたいなと思っています。塾の行き帰りの自転車でこの歌を口ずさみながらラズくんは3.14の段を暗記しました。
また、現在通っている中学校での生活についても、合間合間に書いていけたらと思っています。
R4偏差値どころかR3偏差値にも2回ほどしか届くことのなかった凸凹くん、果たして深海魚となってしまうのか?! などの不安もありましたが、次なる大きな目標として大学受験を目指し、どのようなサポートをしていこうかと模索中です。
ラズくんのこと
冒頭でも触れましたが、息子はおそらく発達障害です。そのため、こちらでは凸凹くんと呼ばせていただきます。(→後ほどラズくん、と名前をつけました。)
未診断ですが、通級でウィスクIVとLCSA等を受けた結果、ワーキングメモリと処理速度が境界値〜平均以下、高かった言語理解との開きが「22〜53」ほどありました。
色々と調べていくと、15や20以上の差があると発達障害と言われるようで、通級の先生からも「診断名はつくと思うよ」と言われました。
当時は診断名を知りたかったのですが、夫からの理解が全く得られず、
なんとか通級には通えたものの、家庭不和に陥る可能性があったため、受診は見送りました。
「診断名がつくだろう」という一言でこれまでの胸のつかえがおり、またやるべきことが定まったので、今思えば私はそれで十分だったのかなと思います。
どんなときに診断名があると良いのか、ということも通級の先生に丁寧に説明していただき、この先も胸にとどめておこうと思いました。
息子のIQは、上記凸凹はあるものの、ならすと平均値くらいでした。
検査をしていただいてよかったことは、息子の得手不得手が、数値としてわかりやすく示されたことです。
私はフワッとものごとを感覚的に捉えて生きてきた人間なので、ラズくんの見せる反応や、訴える症状がなぜそうなっているのか……
彼自身が霧の中に隠れているかのように、捉えどころがなくて、なんと表現したらいいのか難しいのですが、例えばですが、
ペットの飼育でいうならば「ウサギなのか犬なのか、もしかしたらもっと別の動物なの?! 状態で育ててる」感じに近いのかな。
モヤモヤの中にいてよく見えない。
一緒に暮らしていて楽しいのだけど、ときどき猛烈に困ることがある。
それがもう白旗状態で、これは一体なんなんだろう? とずっと苦しんでいました。
(↑まさにこんな風に感じていました 笑)
結果的に、自分の過去の経験や、乏しい思いつきから、アタリをつけて働きかけてみるしかなく、それらは見事なまでに徒労に終わりました。
その辺の足掻きっぷりも、後で詳しく書けたらと思います。
発達グレーでも難関校合格
息子が苦しんだことの一つが小学校の宿題でした。
1年生から4年生くらいまで、ジャポニカ学習帳1ページ分くらいの分量しか出されない宿題を、夕方5〜6時から夜10時くらいまでかけて泣き叫びながら何とかこなしていました。
その間母はつきっきり。
ほぼ毎日、食卓でずっと二人きり、顔を突き合わせてなんとか宿題をこなしました。
ただなぞり書きをするだけのプリントが涙に濡れたり、ページをグチャグチャにしてしまうこともありました。
そして漢字テストは100点中40点くらいしか取れませんでした。
「毎日楽しく遊んでいて勉強しなかった」とか「スポーツに打ち込んでいで勉強する時間が取れなかった」とかならわかるのですが、毎日地獄の宿題タイムをこなした上にこの結果です。
加えていうと、放課後に遊べるような友達は一人もいませんでした。
ラズくんは、いつもストレスがたまっていて、家でイライラしたり不安定になっていることが多かったです。
ただでさえ学校が嫌なのに、自宅でも学校の練習や宿題を、私に何時間も強要されていたからかもしれません。
運動や楽器も全くできなかったので、室内用の鉄棒、笛とピアニカを2セット買い、自宅で私と一緒に練習しました。
縄跳びやかけっこ、水泳、安全教室の前は補助輪なしでの自転車も、全て練習しましたが、いくら練習してもあまり変化はありませんでした^^;
毎日なにかしら学校の宿題や練習をして1日が終わる……他のことは何もできない。そんな日々でした。
ピアノの発表会で演奏を披露したり、スイミングの級があがった、という報告をママ友さんたちから受けるたびに、同じ年の子が、学校以外でも何かを頑張り、積み上げていることが信じられなく思っていました。
いったい、どうやったらそんなに多くのことをこなせるんだろう?
うちは毎日の宿題をこなすだけで息切れしているのに。
このころの私は、クラスで一人だけ「できない」という状況を、少しでも減らしてやりたい、どうにかして成功体験をさせてやりたい、何かを成し遂げた感覚を味わわせてやりたい、とそんな気持ちばかりに囚われていました。
私はこんな毎日を「地獄だ……」と思っていましたが、ラズくんこそ地獄の責め苦だったと思います。
このように、全く冴えず登校しぶりの酷かったラズくんでしたが、最終的に山のような塾の課題をこなし、日能研偏差値65ほどの、本人も熱望していた難関中学校に合格できたのです。
現在、進学先では課題やテストで毎日忙しく、そして相変わらず多くのお友達は作れずにいますが、優しく頭のいい、気の合うお友達が2〜3人できて、憧れの学校のずっと入りたがっていた部活に入部し、毎日笑顔で登校しています。
絶望的だった私も、自尊感情を無くし捻くれていたラズくん自身も、数年後にこんな未来が待っているなんて、とても考えられませんでした。
ここまで来るには苦労もありましたし、母の至らなさにぶつかり合うこともしょっちゅうでした。
ですが私が不安や葛藤、自己嫌悪に蹲っている間にも、ラズくんはぐんぐん成長し、いつの間にか私の横を追い抜いていきました。
そのしなやかな後ろ姿に、涙を拭った目を思わず瞠ることもしばしばでした。
こんな気持ちでブログはじめました
私自身がおっちょこちょいやミス連発など発達障害の気があることから、発達障害や脳機能についてハマり、断続的に本やネットで情報を漁っていますが、専門家ではないので、このブログで専門的なお話は書けません。
また教育熱心なママの真逆をいくダメ母だったため、受験情報や幼児教育みたいな有益な情報も書けません。もしかしたら当たり前な知識すらないかもしれません……。
ですが「息子の小学校生活と中学受験に本気で向き合ってきた」という、小さな自信だけは持っています。
定型発達の子ですら追い詰められる中学受験。
そんな過酷な日々を乗り越えた「私たち親子の、泥臭くオリジナリティあふれるやり方」が、僭越ながら、どこかの似たようなご家庭の「ヒントや明日への活力」に繋がることを、
さらには私たちのあがきを踏み台にして、より高みへと昇ってくださることを心の片隅で願いながら、ブログという形で凸凹親子のこれまでの記録を残していこうと思います。
つたない文章ですが、しばしお付き合いいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。
コメント