小学校の宿題「辛さの理由・取り組み続けた理由」

小学校時代まで

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今回は小学校の宿題にまつわる話題です。
はじめまして」で触れましたが、ラズくんはジャポニカ学習帳1ページほどの量の、小学校の宿題をこなすのに、何時間もの時を費やしていました。3年生くらいの頃です。
私はその間つきっきりで、一文字書かせてはなだめて褒めて、それでも上手くいかないときは強い口調で怒った時もあったと思います。(都合の良いことに、自分ではあまり記憶にないのですが^^;なにせ、一文字書いては怒り出し、大きな声でイライラを訴えたり、席を立って部屋から出ていってしまうのですから、私が平常心でいられたとは考えにくいです)

「宿題をやらない、学校に行かない」という選択肢は、ラズくんの中にありませんでした。
宿題はやらなければいけないし、学校はいかなければダメ、という考えで自分を縛っているような状態でした。
それでもいざ机に向かったり、登校前になると「嫌だ」と訴える。あまりに苦痛そうなので「今日は休む?」とか「じゃあもうやらなくていいよ」というと「やる、けど嫌だ」という、如何ともし難い状況でした。

ラズくんは幼稚園くらいの頃からルールを破ってはいけない、ということに拘っていました。
例えば、公園にある遊具に書かれた小さな注意書きを読み「○歳だから自分は使うことができる」と確認してから遊んでいました。
(もちろん、最初は読めなかったので「何が書いてあるのか」と私に訊いてきました。その内容を、他の公園や遊具の注意書きにも当てはめて、数字などから見当をつけていたのだと思います)

おもちゃを買うと、説明書を必ず読んでから遊びました。
説明に沿った使い方をしないと、壊れたりするのではないかという心配があったようで、自分のおもちゃを、手順通りではなく、色々と試しながら使いたがったお友達と、トラブルになったりもしました。

そのような、生まれ持った真面目さというか思考の固さもあったのかもしれませんが、
それだけではなく、私の「なんとか平均的にできるようになってほしい」という感情が、態度や言葉に滲みでて、ラズくんを追い詰めたと思います。

ラズくんが宿題に苦痛を感じた背景には、分かりやすい原因もありましたが、それ以外に複雑な要素も絡んでいたと思います。
それらを認識することは、私にはハードルが高すぎて、長い時間がかかってしまいました。(今でも理解しきれている自信がありません……)

「子供をよく見て、その子が苦手だったり、嫌がることをさせない」というのがまず無難な対応なのかなと思いますが、
そうすると「小学校のテストで点数が取れない、ワークが提出できずに先生に指摘されたり、居残りなどでまとめて消化しなければならなくなる」という事態に陥ることが想像できます。

実際に、ワークが提出できていない子は黒板に名前を書かれて、みんなの前で催促されたりしていたようです。(よくある光景でしょうけれど)
本音をいうと、私が避けたかったのはこうした事態でした。
「切羽詰まった状態で、まとめて消化」するキツさは骨身にしみていますし、ラズくんが小学校で自信を無くしたり、恥ずかしい思いをするという場面を、想像するだけでも自分のことのように辛くなりました。

鉄棒や自転車、縄跳びを練習させたのも、宿題を何時間かけてでもやらせようとしたのも、
小学校でみんなができていることができないと、惨めな思いをするのではないか、そのことで学校がますます苦痛な場所になるのではないか」という私の思い込みからくる不安のため、というのが大きかったと思います。

私自身、小学校時代から体育が人一倍苦手だったり、忘れ物がひどかったり、優先順位をつけられなかったりしました。
いつもごまかしごまかし、綱渡りのように過ごしていた学生時代の苦い記憶を重ねてしまったからかもしれません。

こうした「私の恐れていた事態」を回避するために、よかれと思ってやっていた「苦手分野を少しでもマシにするための練習」は、ラズくんにとって過剰な訓練となり、皮肉にも、じわじわと自信を失わせてしまったり、苦手意識を増幅させたりしてしまい、
「宿題や苦手なことに対して、より一層拒否反応を示すようになる」という負のスパイラルを起こしてしまったのではないかと、今になって思います。

3〜4年生ごろになると、鉄棒なども「どうせできない」「出来ないということがわかった」と、ラズくんの言動に諦めや卑屈さも出てきていました。

「出来ないことを過剰に練習しなかったら、経過は違っていたのか?」「宿題の量を減らすなどの配慮があれば、あんなに拒絶反応が起きなかったのか?」ということを時々考えますが、どうなっていたかは心底わかりません。
結局、通級に通っているあいだも、ラズくんの希望もあり、宿題の量に関する配慮は申し出ませんでした。このことは次回の記事にも書こうと思います。

そんなこんなで親子で身を削りながら宿題をこなしていた結果、学習面や忘れ物に関して、6年間学校から何も注意を受けることはありませんでした。
そこだけに目を向けるならば、むしろきちんとこなせていた方だっと思います。
(ただ、別の記事にしますが、学校での生活面はメタメタでした)

また、例えば鉄棒ですが、
みんなが前回りができる中「ツバメ」しか出来なかった、というラズくんの報告には
「えええ……||||(_ _)|||」というショックと同時に、「可愛いな」とも思ったり、
何も出来ないことで、日々悲壮感ばかりというわけでもなかったです。
(6年間で「布団」まではできるようになりました 笑)

そして、肝心の小学校の宿題そのものの効果ですが、正直微妙だったと思います^^;
やらなくても良かったのでは、くらいに思えます……。
ラズくんは一年生から「こどもチャレンジ」をやっていたので、全く学習習慣が無かったわけではありませんでした。

ですが「学校から課せられた課題は、嫌でもこなせるようにならなければ」という思いから試行錯誤した経験は、その後の受験や、ラズくんの勉強スタイルを確立するためにとても役立ちました。

ということで、小学校の宿題に関しては、どうすることが正解だったかは本当に分からないため、「こうした経緯をたどって、親子ともども満身創痍になりながら、何とかかんとかこなしてきた」ということしか書けそうにありません。。

一つ言えるのは、「心に余裕を持って、楽しく取り組めたら良かったな」ということです。
鉄棒や自転車などは、遊びの延長で楽しく練習できた日が多かったです。自転車は、前回の記事に書いた、母の気づき以降ですが。

日光をあびて体を動かすこと自体は健康や発達に良いと思えば、母が狙った成果が得られずとも、ラズくんにはかなりメリットがあると言えます。
宿題もそういう視点を持って取り組めれば、ラズくんも私もきっと楽しく前向きに取り組めただろうなと思います。
とはいっても、宿題は期限やノルマが明確にあるので、そう簡単にはいかないでしょうけれど……。

長くなってしまいましたので、記事を分けようかと思います。

続きはこちらをどうぞ。
小学校の宿題②「発達検査でわかった辛さの原因」

小学校の宿題③「小さな変化でとても楽になったこと」

小学校の宿題④「漢字定着のための工夫」

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