この記事は公開しようかどうか迷ったままずっと下書きの状態だったのですが、時間が経ったことによりアップしてみようという気持ちになりました。
中受の知識ゼロ(やる気もゼロ)だった私。発達に凸凹があって、やっとの思いで小学校に通っていた息子のラズくんに「中学受験」なんてさせても良いのだろうか?
そんな不安を抱えていた私が受験に対して前向きになれた、きっかけとなった体験談です。
同じような迷いの中にいる親御さんに、一つの例として参考にしていただけたら幸いです。
「中学受験」への不安と偏見
以前の記事でもご紹介した通り、ラズくん父は、ラズくんが生まれた時から中学受験をさせると明言していました。
公立中学出身の私は気乗りしませんでしたが、夫の意思はゆるぎなく、息子のラズくんが成長し「その時」が近づくにしたがって、どうやら我が家には「中学受験」をする以外の選択肢はないようだ……と感じ始めていました。
幸いといいますか、災い転じてといいますか……、ラズくんは小学校が合わず、4年生の時点では仲の良いお友達もいなかったこともあり、受験すること自体は嫌がりませんでした。
ラズくん父からすると、我が家は「受験に挑むのに何も問題ない状態」だったようですが、
私は常に不安がありました。
勉強のできる、しっかりしたお子さんでも大変な思いをするという「中学受験」というものを、小学校の宿題ですら嫌がっているラズくんが、果たして乗り越えられるのだろうか。
また、ラズくんが1年生のころ、「お母さん、僕が言ってることって分からない?」と訊いてきたきたことがありました。
お友達に「何を言っているのか、意味が分からない」と言われたとのことでした。
確かにラズくんの言ってることが、ちょっとよく分からないなって思うことが当時はまだよくありました^^;
(今でも、たまにあります。私の理解力がないせいかもしれないのですが……「それは誰が言ったの?」とか順序だてて質問して「なるほどね」って納得したりします)
のちに通級で検査したときに「大筋から外れた所に着目しがち」とか「回りくどい話し方をしがち」と指摘されていましたが、そういった特性も関係しているのかもしれません。
そして、授業中は机に伏してぼーっとしていたり、椅子をガタンガタンと揺らしていたり、教科書の全然違うページを読んでいたりして、お友達によく注意されていました。
隣の席の女の子はラズくんのことをちょっと呆れていたようで、ラズくんは家に帰るとよく「笑われた」とか「嫌なことを言われた」と怒っていました。
今思うと、きっと、そのお子さんはダメダメなラズくんのお世話役のように配置されてしまったのかもしれません……。
授業参観の時に「どんな子かな?」と見ていたら、そのお子さんは背筋を伸ばしスッと挙手をして、完璧な回答……いやそれ以上の、少し応用のきいた答えを披露していて、あまりの別次元ぶりに、
「あーこんな子からしたらラズくんが隣で変なことしてたら、そりゃ気になって仕方ないよね😞」なんて申し訳なくなりました。
同時に「こういう子こそが中学受験するに相応しい」とも思いました。
肩身の狭い私をよそに、その授業参観でもラズくんは違うページを読んでいて、他のお子さんに注意されていました😞
こうしたラズくんの授業態度についても、発達の検査をしたり本などで調べるうちに、たとえば「姿勢を維持するのが苦手」などの特性からくるものだということが分かってきました。
また高学年になったある日、国語の教科書を手にしてラズくんは言いました。
「この教科書は先に読まないように我慢してる。他の人みたいに、授業でやる時に初めて読んだらどんな気持ちになるのか体験しようと思って😁」
何の気なしにポロっとこぼしたその言葉に、ラズくんの内情が垣間見えて「えええっ そうだったの?」と驚きました。
「今、なんの授業をしてるのか分からなくて全く違うページを開いていたわけじゃなかったのか……いや、低学年時は指示が通りにくかったから、それも多分にあるだろうけど(-。-;)」とかとか……。
とにかく、ラズくんは親の私から見ても行動が謎でした。
しかも場に不適切なことをしているパターンが多かったので、咎めたり、何でそうしてるのか尋ねたりしていましたが、はっきりとした反応はなく、何を考えているのか靄の中にいるように分かりにくかったです。
こうした、ラズくんがやっていることや、漢字テストやプリント物など成果物として表に出てきているもの、
そういったものを見るにつけ、受験勉強なんてできるタイプとは思えませんでした。それどころか小学校のカリキュラムを周囲のお子さんたちと同じようにこなすことすら厳しい様子なのです。
そんな子に受験をさせるなんて周囲に知られたら「親のエゴなんじゃないか」とか「身の程知らず」とか非難されるような気がして、低学年時は特にですが、誰にも打ち明けられませんでした。
知識も経験も浅かった当時の私は、発達凸凹についてもよく理解していませんでしたが、
「中学受験」に対しても、偏見の目でしか見れていなかったのだと思います。
希望をくれた男の子の話
ここからは、通級での出来事です。
ラズくんが通っていた情緒のクラスでは、月に1回くらいのペースでグループワークがありました。
同学年のお子さんたち数人の小集団で、クイズを出し合ったりスピーチを発表しあったり、体を動かして遊んだり、チームプレイやゲーム自体が苦手な子でも参加しやすい、レクやスポーツに取り組んだりしました。
親はその様子をカメラ越しに別室で観察し、自分の子供の良かった点や気づいたことを発表しあいます。(観察していることは子供達には秘密であるため、見た内容は家でも話さない、子供に気づかれないよう移動するなど慎重に行われていました)
3年生の冬のことです。その日は朝一番にグループでの活動の予定が入っていました。
ラズくんを連れて校舎に入ると、「おめでとう!」「よかったね!」という通級の先生がたの声がきこえてきました。
2月だったので、卒業かな? それにしては時期がまだ早いし、先生の声のトーンから、入試で受かったのかな? と、なんとなく想像しました。
声のする方をちらりとみたら、廊下の角の向こうに黒いランドセルを背負った後ろ姿が見えました。
「ああ、男の子なんだ」
と思いながら角を通り過ぎました。
まだ3年生だったこともあり、当時の私は「進学塾」には関心があったものの、「入試」や「合否」などの現実的なワードはまだピンときませんでしたし、遠い先の話だと思っていました。
というより、その日は正直それどころではありませんでした。
グループワークでラズくんがクイズを出す予定でしたので、無事にこなせるかという心配と、親の反省会、緊張するー! ということで頭がいっぱいだったのです。
ですので待機室に入ると、その男の子のことはすぐに忘れてしまいました。
それから月日が経ち、ラズくんは入塾テストを受け始めます。
我が家が受験を考えていることを、通級の先生にもお伝えした方がいいかな、とずっと思っていましたが、相変わらず私はなかなか言い出せずにいました。
「小学校での生活や、ラズくんの抱える困りごとを軽んじている」と思われないか、
また、「登校しぶりがあって書字も苦手な子に進学塾で勉強させるなんて、身勝手な親だ」みたいに思われそうで、気が進まなかったのです。
この時点ではまだ過去の記事にある通り、入塾テストには落ちまくっていましたが、いよいよ塾通いも始まるかもしれないと、4年生の夏休み前くらいだったと思いますが、思い切って打ち明けてみました。
すると、普段からストレートな物言いをされる担当の先生は一言、
「いいんじゃないですか?」
とあっさりと肯定してくださいました。
そして、少し思い出すようにして、「最近でも、この校舎に通っていた男の子で、自分で行きたいと思った学校を受験して、合格した子がいましたよ」と話してくれました。
あの時の子だ!
今年の初めに「おめでとう」と言われていた男の子の記憶が、パッと蘇りました。
「そのお子さんは特性から小学校では苦しんでいたけれど、自分が選んだ中学校では、生徒たちの輪の中心となって、楽しく充実した日々を過ごしているらしい」という事、
そして「このお子さんのように、通級から受験して私立に進学していくお子さんは珍しくない」という事も話してくださいました。
しかも、サラリと先生が口にしたそのお子さんの進学先が最難関レベルの学校だったことにも衝撃を受けました(◎_◎;)
先生の話の内容から、そのお子さんの進学先となった中学校は発達に偏りのある生徒にも理解があるような印象を受け、興味がわいたので5年生になってすぐに保護者向けの説明会に参加してみました。
すると、校内見学を引率してくださった先生の物腰の柔らかさや、その後の講堂での説明会で保護者たちに投げかけられた血の通った言葉と、言葉尻に感じた名門校らしい矜恃に、感極まって目頭が熱くなってしまいました。
こんなに愛情を持って導いてくれそうな、懐の深い学校に子供を任せられたなら、どんなに安心だろうかと思いました。
見回すと、難関校だけあって、熱心そうなお母さん方が真剣な顔つきで耳を傾けています。
「こんなに多くの人が憧れる学校に、小学校が苦しくて通級に通いながらも合格したお子さんがいるんだ」
私はこの時、初めて吹っ切れた思いでした。
あの子にとってのこの学校のような、「特別な学校」をラズくんと一緒に見つけ出し、最後まで一緒に走りきってみせる!
受験に対してなかなか攻めの姿勢になれなかった私の背を、強く押してくれた出来事でした。
ーーとはいえ御多分に洩れず、ラズくんとのその後の受験勉強は心折れそうな局面の連続でした😅
自然教室に行っていた3日分の遅れを泣きながら取り戻した夜、大事な模試とバッティングした小学校の演奏会に、駅のベンチでお昼をかき込みタクシーを使って駆けつけたり、その模試の結果で厳しい判定を突きつけられたり……。
「こんなに無理をさせてまでする事なのだろうか」
不安や迷いが頭をもたげる度に、あの男の子のことを思い出しては気持ちを奮い立たせました。
あの子もきっと乗り越えてきた道だ、と。
2月の朝日を纏ったあの日の後ろ姿を、今でも時々思い出します。
希望の星となって私たち親子の行く先を照らしてくれたあの子に、あの子の頑張りに、心から「ありがとう」と伝えたいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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