高校1年生になった凸凹くんの様子

高校一年生 中学生時代

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前回から1年ぶりの更新となってしまいました。
仕事を変えて私自身の生活リズムが変化したため、息子のラズくんも、この1年あまりは放置気味になってしまいました。

けれどラズくんの学校では保護者会のたびに、親は手や口を出さずにとにかく見守ってくれと、中学2年生くらいから再三訴えていたので、高校生になったこのタイミングで、心配性の母親が強制的にフェードアウトしたことは、かえって良かったことだったのかもしれません💦

一方で私の方は私生活がだいぶキャパオーバーになってきてしまったため、また環境を変えていくことにしました。
書きたかったこのブログに再び着手するためにも、もう少し自分の時間を持てるようにしていきたいです。

今年の春にラズくんは無事に中学の卒業式、そして高校の入学式を迎えることができました。
振り返ってみると、中学校生活はそれなりに大変そうでしたが、公立小学校の時のカリキュラムよりもラズくんには合っているのではないかと思いました。

小学生の時に「学校は嫌がるけれど進学塾は面白いようで普通に通えている」というお話を通級の先生にしたところ「どうして塾は楽しいと感じるんだと思う? 小学校とどこが違うのかな?」と先生からラズくんに問いかけて下さったそうです。

するとラズくんは「塾の先生は教えるプロだからってお母さんが言ってた」と答えたとのこと😓
子供の興味を引きつつ効率よく教えていくことに特化している、という意味で「教えるプロ」と言ったつもりでしたが、
学校の先生も教えるプロなんですけどね〜」って通級の先生から言われてしまい💦 失礼な言い方だったなと気づきました。

また、「学校って、塾と違って『今何してる時間なんだろう……』って思う時が結構ありますよね」なんておっしゃっていて、「ああ、確かに〜! そういう時間を過ごすのがラズくんは苦手なのかもしれない。私もそうだな」と納得しました。

★小学校が嫌だった理由について補足しますと、卒業してから改めて訊ねてみたところ「授業が苦痛だった」というのが一番大きかったようです。(詳しくは過去記事『登校しぶり』に悩んだ小学校時代①をご覧ください)

中高一貫のカリキュラムは受験に向けて先取りするため、こなさなければならない事が多いはずですが、考査の成績処理日や入試時期など休日が多く感じます。
そこで、現在通っている私立と、近隣の公立中学校のカリキュラムや授業日数の違いをざっと調べてみました。

もっとも大きな違いは、私立中学校の多くは土曜日に学校があるということです。
ラズくんの学校も土曜日は4時間目まで授業があります。
そこで、今年度の学校がある土曜日の日数を数えてみたら、35日ほどありました
ですが、私立は考査のたびに成績処理日という休みがあり、特に、期末考査後は成績処理日が多く『答案返却日』と『修了式』にしか登校しないため、長期休みが非常に長く感じます。
こちらもざっと数えてみたことろ、3回の長期休みにそれぞれ1週間ほどずつ多く休みがあり、トータル20日ほど公立より長期休みが長かったです
(近隣の公立中学校は2学期制ですが、秋休みは、中間考査の成績処理日で相殺としました)

とういうことで、登校日数だけを数えると、現在の私立中学の方が、土曜日があるぶんトータルでは15日ほど多く通いますが、長期休みは公立より長い、という結果でした。

次に年間の授業数ですが、近隣の中学校は文科省の指導要領と同じ、中学1年生時で1015時間でした。
現在通っている私立中学校を調べてみたら、公立よりも200時間以上上回り、主要教科はそれぞれ週1回分ほど多く、特に英語には公立の1.5倍もの時間を作っていました。

公立よりも多い分の登校日数でこの200時間を割ってみると、土曜日だけで賄えているとはとても思えませんでした。
現在通っている学校は始業式の翌日から急に6時間授業ですし、遠足や、たとえ修学旅行の後だとしても、日曜を跨いだ分の振替がなければ、翌日から何事もなかったかのように6時間授業です。

それから、ラズくんに聞いてみると、例えばですが、生徒会の選挙などはHRの時間を使って、候補者の動画を一気に見て投票するなど、工夫して授業時間を捻出しているのだと思います。

ここで最初のお話に戻るのですけれど、
現在通っている私立中学校は、通級の先生が仰っていた「今何してるんだろう?」という「ゆとりのような時間」を減らさざるを得ず、それがラズくんの特性と合っているのだろうと想像しました。

英検や漢検、外部模試とその対策などやることが多い中、遠足や運動会などの行事ごともタイトに無駄なく、けれど短い中でもこなした感を持てそうな、工夫されたプログラムが用意されています。
学校側のその工夫というのが、お友達が少ないラズくんには幸いしていて、
ランダムで決められた、親しい友達のいないグループに入れられたとしても、グループ行動中こなさなければならないことが多く忙しいため、疎外感を感じたことがない、と言っていました。笑

このように学校がある時期は忙しくギュッと濃縮されていますが、学校が終わってしまえば一気にシャットダウンし長〜いお休み、というリズムにメリハリが感じられて、趣味にも没頭できるため(笑)ラズくんや私にも好ましく感じるのでしょう。

逆に、次々とこなしてる感じがめまぐるしいし学生生活が味気なく感じる。嫌だな〜って思われるお子さんや親御さんも、確実にいるだろうなと思います。

話は変わりますが、現在のラズくんの状況を記しておきます。
高校生になって気になってくるのは、やはり大学受験です。
まだ志望校を決めてはいませんが、中学3年生時になんとなく志望校になり得そうかなという大学2校の文化祭に行き、希望する学部の展示を見てまわりました。

また、ラズくんと同じ学校から理系の大学に進み、現在エンジニアの職につき国内外で活躍しているという親戚から、これまでの歩みや仕事への向き合い方などを詳しく語っていただく機会があり、
自分の歩もうとしている道のりに、段々とイメージがついてきているようです。

それに伴って問題点も明確になってきました。
理系クラスを目指しているのに数学の成績がふるわないことです(~_~;)
小学校の時に受けた知能検査で言語理解が高かったことが関係しているのかわかりませんが、文系教科が突出して高い反面、数学、とくに図形の分野が苦手なのです。

まずは得意教科についてですが、国語はもともと得意でしたが、最近は特に、英語の成績がぐいぐい上がっていき国語の順位を抜きました。
我が家では中学の3年間、基礎英語はずっと続けていましたが、やはり毎日続けられる子はそこまで多くはないようで(途中でやめてしまうお子さんもいるようなので) NHK様様のおかげなのか?!とずっと思っていたのですが、最近あることに気づきました。

ラズくんはプログラミングや電子機器などの最新情報を手に入れるために、海外のサイトや英語のyoutube動画、SNSなどを毎日のように見ているのです。
ラズくんが熱心に見ているスマホ画面を覗くと「プログラミング言語か英文」ということがほとんどで、それで英語力が鍛えられているのか! と納得しました。
ですがもちろん基礎英語のお陰でもあると思います。通信教育も塾も何もやっていなかった中、毎日続けていたのは基礎英語だけでしたので。

対して数学は、中学3年生の時に学校で受けた外部模試では、学内平均値かそれ以下という成績でした。
気になるのは、「学内の数学が得意なお子さんたちが、どの程度できているか」です。理系クラスを選択したお子さんたちの中で、ラズくんは結果を出していけるのか。内容が難しくなり、成績もずっと下の方のままだと苦しくなってきてしまうのではないか。

高1の1学期の数学は、図形が無かったため考査でラズくんは平均くらいでした。
このような時に、「学年平均点」の「点数だけ」を見るとラズくんは真ん中にいるように錯覚するのですが、データを見ると最頻値は最高得点域なので、やっぱり圧倒的に数学ができるお子さんが多いのだろうな、と思い直します。
他教科はそんなことないのですが、数学の最高得点だけは「必ず」100点ですし。
中学受験の算数の結果でも同じことを思いましたが、超えられない壁を感じてしまいます^^; 本当にすごいですね。

そうした猛者がしのぎを削る理系クラス(イメージ)を目指すならば、やはり数学だけでもどこかで見てもらったほうがいいのではないか、と思い始めた私と
「まだ早い!金もかかるし高2からでいい!」と主張するラズくん父。(←いつか見た光景)

そんな中でしたが、またしても夫が急に方向転換し、某大手予備校に数学だけ通うことになりました。週1回1コマ数学のみです。
帰りが夜遅くなるのと、あまり大変だと日常生活がままならなくなりそうなので、ラズくん父おすすめの選抜クラスのある教室ではなくて、自宅の最寄りの教室で、偏差値帯としては50後半から60前半くらいというコースを選びました。

ラズくんの数学は、まずはこのくらいを安定してとれることを目標としたいので、まさにぴったりだと私は嬉しくなりました。
ラズくん自身も「数学をどうにかしない限り自分の希望する進路は拓けない」と言っていて、入塾について意思を確認したところ「頑張ってみたい」と本人が言ったことで、最終的に決めました。
今回ご縁のあったこちらの教室で、土台となる力をつけてもらえるといいなと思っています。

(予備校名などの詳しいことはいつか書かせていただくかもしれませんけれど、このブログは中学受験と、特性のあるラズくんの成長についてのブログなので、今の所、大学受験や予備校について詳しく書く予定は無いです。私が疎く書けそうにないのもあり😵)

ここからは私の気持ち的なことです。
私は最近、朝ラズくんよりも2本くらい前の電車に乗ることになったため、私の方が早く家を出ています。
ですのでラズくんは自分で出て行き、帰りも一人で帰ってきています。
毎朝時間通りの電車に乗れているか、私も気になってついGPSで見てしまうのですが^^; 今の所、ちゃんと時間通りに出れているようで安心しました。

中学にあがったばかりの頃は、学校の近くに着くまで気になってちょくちょくGPSを見ていましたが(^^; 最近は時間通りの電車に乗れたかもたまにしか確認しなくなりました。
私はかなり心配性な親ですが、こうして少しずつ子供から手を離していくのだなと感じています。

自宅から駅までの間の自転車での付き添いは結局、中学3年生の後半くらいまでしていたことになります。
ママ友さんや私の友人たちは、
え? もう送り迎えしてないの?! 息子成長したね〜!」って、あたたかい言葉をかけてくれます。

振り返って思うのですが、ラズくんの行動や私の接し方について「まだそんなことしてるの?!」「もういい加減やめなよ」みたいな、否定的な反応をされたのは、子供が小さかった頃ほど多かった気がします。特に小学校に上がったばかりが一番多かったな〜と思います。

中学生以降は肩の力が抜けてきたり、他人の子供に関心がなくなってきたりもあるのか、割と大雑把に受け入れてくれるようになり(笑) 私もとても気持ちが楽になりました。

こんなことなら、他人の言葉を気にしたり、お友達との小さな違いにクヨクヨせずに、まだ幼かった我が子との、二度と戻ってはこない貴重な時間を楽しめばよかった。ラズくんが笑顔になれる機会を一つでも増やしてあげればよかった、なんて思うのですが
それは通り過ぎた今だからこそ言えることですし、当時は本当に、心の底からいっぱいいっぱいでした。
そんな風に昔の自分を懐かしむと同時に、今もどこかで、以前の私と同じようなお母さんがたが、同じようにいっぱいいっぱいになりながら、必死に日々を過ごしているのだろうとも思います。

通級での保護者会で、あるお母さんが、お家でお子さんがはっちゃけすぎて毎日室内をとんでもないことにしてしまい、疲れ切って怒ってしまう、と、やり場のない思いを泣きながら訴えていたときに、
先生が「私ならそういう状態を見たら、あぁ、思いっ切り遊んですごく楽しかったんだなあ、って思うと思います」なんて、
「そんなふうに肯定的に捉えることで、親も子も楽になるのではないか?」みたいなニュアンスで諭されていましたが、
先生の言葉に黙り込んでしまったお母さんにも、もちろんアドバイスをした先生にも、どちら側にも今の私なら心を寄せることができます。
最初から自然とそうなれる方もいるでしょうが、子育ての終わりが見えてきた今になって、やっと私はそこまでたどり着けたのです。

今、思うことを昔の私に言ったとしても響かないだろうと思いますが、それも踏まえて、当時の自分に伝えたいことを、この記事のまとめに書かせていただこうと思います。

ラズくんは今のところ、環境に恵まれたからかトラブルなく、穏やかに毎日を過ごしております。とてもありがたいことです。
ですが周囲のお子さんたちの姿をみていると、ちょっと違うことろもあるな、と感じることもあります。

成長してもやっぱり少し幼いことと、同年代のお子さんがハマっているようなこと(ソーシャルゲームとか、野球などのスポーツ観戦とか芸能とか)に全く興味がなかったり、とかです。

そういった、ラズくんの言葉を借りると「陽キャ」なタイプのお子さんたちの挙動は、行事などで見かけるたび、驚くほどの速さで大人びていき、お友達同士のコミニュケーションの仕方も世慣れしたものに変化していき、ラズくんごときが太刀打ちできる相手じゃないな^^;なんて、周囲とのギャップを思い知らされているこの頃です。

ですが、不得意なことがある一方で、意地をはらず本音を見せてくれたり、私なんかが「適当にやればいいのに」と思うようなことにも最善を尽くそうとする真面目さなど、彼なりの良いところもあります。

最近は、自分が産まれたとき、体のどの部分が出て来た時が一番痛かった? なんて訊いてきたことがあり、ちょっと小学生みたいだな^^;大丈夫? と不安に思いつつ「かわいらしいな」とも思い、
出産したときの話しをしました。(ちなみに、頭よりも、肩が出た瞬間の方が痛かった記憶です……)

旅行やレジャーに出ると、「すごく良い経験をした」とか「来て良かった」、とか言ってくれたり、喜びや感動している姿を照れることなく見せてくれます。
家族写真でいつもムッツリしていた、素直になれなかった高校生の頃の私とは正反対です^^;

春に大学の文化祭に行った時「やっぱり大学はレベチだわ……」とか、先日富士山に登った時は標高の高さに恐怖して「頂上とかもうどうでもいいから早く降りたい😨」なんて弱音を吐きながらも頑張って登頂し
下山途中で目にした風景に「やっぱ富士山は他の山と何か違うわ……えぐい」なんて感動したりしていました。

こちらがその時撮影した風景。吉田ルートの下山道です。

小さな頃は「扱いにくく、面倒臭く、大変だった」ラズくん。
ラズくんの困った特性を「無くせたらいいな」というのが私の本音でしたが、無くなるものではない、ということも知識として知っていたので、できるだけ小さくマイルドにしていこうということが目標でした。

ルールを頑なに守ろうとして、自由に振る舞うお友達とトラブルになったり
嫌なことや怖いことに耐えられず、大騒ぎをして逃げ回り、先生やお医者さんを困らせたり。(ラズくんは診察台に座れなかったので、障害のある方も診てくださる歯医者さんを探して、かかりつけにしています)
状況をわきまえず、しつこくしつこく気になることを訴えてきて、周囲を困らせたり苛立たせたり。
ずっと執着していた便器を(過去の記事をご参照ください)ダンボールを使って自己流で作成し水を流し込んでリビングを水浸しにしたり。

その一方で、楽しそうな遊具がある場所に行ったりすると、抑えきれない興奮を動物のような吠え声で表現し、私を笑わせてくれたりしました。

そして現在はといえば、強すぎる主張はすっかり影を潜めて、まるで別人のように成長したと私は思っていましたし、コロナ後に久しぶりに会った私の母からも「あんなに喋っていたのに静かになっちゃって、なんだか寂しいねえ」なんて言われてもいました。

ですが「小さな頃のラズくん」は、今の彼の「核」の部分に確かに収まっていて、静かに息づいているのだと、何がきっかけだったのかは分からないのですが、ふと気がついた瞬間がありました。

ひそかに抱く野心を明かしてくれた時や、好きなことでは負けたくないという闘争心が垣間見えた時、テストの結果が悪くて不機嫌になった姿、どんなに忙しくて時間がなくても翌日の小テストや、クラス対抗のレクリエーションの対策まで必死にこなそうとする姿が、
生真面目でビビりで勝ち負けにこだわっていた過去の息子の延長上に、急に繋がって見えてきたのです。

それと同時に、彼の強い拘りや純情さは、成長とともに胸をかきたてる情熱の炎となって、大変なことの多い社会生活での、生きる糧となっていくのだろうと思いました。

そう思い至った瞬間、私の胸に「ああ、楽しくてたまらないとか、深く感動するような経験を、小さい頃に沢山させてあげればよかった」という思いが溢れてきました。
まだ間に合うかな、独り立ちしてしまうまでの残された時間をそのことだけに費やしたい、という衝動にも駆られました。

生まれた時から持て余すほどのパワーで、さらにはよくわからない形でもって😓私を圧倒してきた、ラズくんの小さくて強すぎる核の部分を、もっと大切に愛しんであげたかった。翻弄されてしまわぬようコントロールできるようになることが、何をおいても大事だけれど。

これからのラズくんに、そして過去の私にも伝えたくなったので、少し感傷的な文となってしまいましたが、書かせていただきました。
渦中にいた私には、やっぱりきっと伝わらないだろうな〜。あらゆることが本当にいっぱいいっぱいだったから。なんて思いつつ(・・;)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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