私が影響を受けた本 ”栗原類さん”の『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』

小学校時代まで

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年が明けて初めての更新が2月となってしまいました。
まずは、今年中学受験された受験生の皆様と、ここまで支えてこられた保護者様がた、本当に本当にお疲れ様でした。


しばらく受験関係の話が続いていたため、今回のブログは少し気分を変えて、私が影響を受けた書籍をご紹介いたします。
こちらのご本は、以前の勤め先で、息子と近い学年のやはり通級に通っていたお子さんをお持ちの方から「おすすめの本がある」ということで、貸してもらって読みました。

モデルや俳優で活躍される中、ADDであることを公表されたことでも知られている「栗原類さん」の著作「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由 (リンクはKindle版)」というご本です。
類くんのお母さんである「栗原泉さん」や、主治医の「高橋猛さん」の手記、またご友人の「又吉直樹さん」との対談も掲載されています。

私はこの本に登場する泉さんの言葉にとても衝撃を受けて以来、ずっとその言葉に励まされながら子育てをしてきました。

今回改めて読み直してみたのですが、初めて読んだ頃の私には気付けなかった、新たな発見も沢山ありました。
この記事では、その中から印象に残ったことを大きく3つに分けて書かせていただきます。

こちらの書籍は主に、「当事者である類さん」「母親である泉さん」「主治医の高橋猛さん」の三者の目線で綴られています。
三者の視点から、これまでの類さんの成長や、泉さんの子育てについて語られるのですが、読んでいて強く感じたのは「専門家の客観的な視点」というものが、こんなにもプラスの方向に親子を導くのだなということでした。
「日々の接し方、声がけの仕方」など、スポット的な「専門家の助言」だけではなく、子育て期間という長い年月を客観的に俯瞰して見る目も与えてくれます。

たとえば、泉さんは類くんに質の良い体験をさせようと、20ヵ国以上に連れて行き、美しいものを見せる努力をしてきただけでなく、その国の文化や国際情報、言語などを類くんの年齢に合わせて分かりやすく説明してあげていたそうです。
けれど、記憶しておく力が弱い類くんは何一つ覚えていないそうで、「どこにも旅行したことのない人より知識が薄いかもしれません」とまで言っています。

けれど、主治医の高橋先生は「学校で勉強ができなかったり、友達とトラブルになりながらも、世界中を旅することで得られたハイエンドな経験を、本人は覚えていないようで胸に温め続けていて、いい意味で花開いた結果が今の類くんである」と説明されています。

長い長い時間を経て、泉さんの想像していた方向(成果として見えやすい部分)ではなかったのかもしれませんが、「泉さんの働きかけはこういう形で報われている」と専門家の視点から気づかせてくれていたのが印象的でした。

これは私が通級の先生からアドバイスをもらう度に感じていたこととも共通しています。
例えばこちらの記事のように、
なかなか自転車に乗れない息子の練習に付き合っていたころ「自転車が乗れるようになるため」ではなく、「私が一緒にずっと練習してくれた」という記憶を残すことを目標に据えた方が良い、と先生が一言教えてくれただけで、クルリと視点が変わり、急に何もかもが良い方向に進み始めたのです。


また、高橋先生は「親子の楽しい共有体験は、本人は忘れていても、親子の信頼関係として残っていく」とおっしゃっています。

作中の、過去を振り返った類くんの言葉を引用させていただきます。

「あんまりよく覚えていないんだけど、僕の子供時代は楽しかったと思うし、親子関係も良かったんだろうなと思うので感謝している」と、母に言うと、微妙な顔をされます(笑)

「発達障害の僕が輝ける場所を見つけられた理由」栗原類/著 より


高橋先生の視点がお二人を橋渡ししてきたからこそ、類くんからこの言葉が出て、何もかも忘れてしまう類くんに落胆していたという泉さんは、微妙な顔をしながらも(なんだか気持ちがわかります😅)類くんの言葉を肯定的に受け入れることができたのだと思います。
報われないと感じることの多い、発達障害児子育てにこそ、このような専門家の視点からのアドバイスが必要だと感じます。

また泉さんは疲れやすい類くんのために、ディズニーランドや動物園などに行っても、類くんがグズったり興味を示さなくなったり、自発性がなくなるなどの態度が出てきたら「疲れのサイン」だと受けとめ、すぐに帰るようにしていたそうです。

楽しい一日として終わらせるには、「大人が元を取ろうとしてはだめ」だと泉さんは言い切ります。
「ちゃんと展示の説明まで読んで、見てよく学んでほしい」とか「もっと長い時間滞在してほしい」など、元を取ろうという気持ちは捨てて「まあいいや」と思うことで、親も子もストレスのない楽しい1日になると仰っています。
このようにして泉さんが作った「数々の楽しい経験」の中で、類くんは「動物に関わる仕事」「鉱物」「音楽」「映画」、そして「俳優」など、色々な事に興味を持っていったようです。

発達に偏りのあるお子さんを育てている親御さんの多くが、漠然と就労への不安も感じられていると思いますが、
泉さんと高橋先生の語るエピソードには、いくつものヒントがあると感じました。

そうか!と、まるで世紀の発見のように感じながら↑この見出しをつけたのですが……
よく考えたらこれって巷でよく言われていることでもありますよね^^;
気を取り直し、今回このご本を読み返して、改めて心に刻んだことをピックアップしていきます。

発達に偏りのあるお子さんが、体験を「楽しい」と思えるように、親の元を取ろうという気持ちを捨て、親子の楽しい経験」になるよう工夫した
楽しい経験の中で、子供が何かに興味を持ったら、そこに将来につながる根っこがないか、興味を深める努力を惜しまなかった、という泉さんの言葉。

○そして、適職選びは我が子に合うものを、数多くの実体験から見つけていくしかない。やってみて違うこともあるが、それも体験してみないことには分からない。
根気の要ることだが、トライアンドエラーを繰り返していく。親の許容範囲がせまいと、子供のやりたいことをなかなか見つけられなくなる。という高橋先生の言葉。

○さらに、興味のないことに興味を持つのは多分無理で、どうしても必要ならなんとか頑張れる程度。という、類くん自身の言葉です。

例えば、ゲーム実況の動画を撮ることにハマって、勉強よりもゲームのことで頭がいっぱいになった類くんに、泉さんはゲームを禁止したのではなく、動画のクオリティを高めるアドバイスをしたそうです。
けれど、類くんは泉さんの働きかけとは裏腹に、新しい動画をどんどん作ることにのみ夢中になり、動画の質を高めることに関心を持てなかったようです。

ここで私は、以前他の記事でもご紹介したことのある、精神科医である本田秀夫先生の「令和2年度発達障害者支援事業「ぽぽむ」講演会 「改めて『発達障がい』とは何か考える」という動画の
支援付き試行錯誤」という、思春期以降の子供への親の接し方についてのお話を思い出しました。

大人は誘導しようとせず、本人の試行錯誤を陰ながらバックアップする、というもので、以下のような内容でした。

  • 本人がやってみたいと一度思ったら納得するまでやらせる。やってみて「何か違う」とすぐに辞めてしまうこともあるが、やりもせずに諦めさせられると発達障害の子どもの場合は一生恨むことになる。
  • やりたいのであればやってみる。やる気がないのならやる気になるまで待つ。
  • 共感はしつつ、デメリットやリスクなど情報の提供はする。しかし助言(誘導)はしない。

というものです。
同時に、「不思議なもので親は子供が小さな頃ほど荒波に揉ませようとして、成長するにつれて子供が無謀なことをしそうになると『それはやめておきなさい』みたいなことを言い出す」とも仰られていて、確かにそうだな〜と思いました。

例えばすごい熱量で何かをやりたいと訴えるからやらせてみたとして、すぐに放り出されたとしたら親としては心外ですが、これも子供にとっては一つの体験・トライアンドエラーなのですね。

一方で、類くんの主治医の高橋先生は、「発達に偏りのあるお子さんになぜ体験が大切か」ということも手記の中で詳しく説明されています。

定型児は前頭葉で理解をしながら不安を解消したり快感を感じたりするため、言って聞かせて頭で理解して改善できるけれど、発達障害のある子は側頭葉(運動野)がその役割をするため、行動で体験することで改善が進む。発達障害のある子は側頭葉を刺激する実体験が大切なのだそう。

また泉さんは、類くんが興味を持ったことを「現実的な職業として成立させるための道筋」を探られてもいました。
「過剰な夢を見ず、夢を手の届くところに手繰り寄せる」という柔軟さも持たれていたからこそ、俳優も含めた様々な職業を選択肢に入れることができ、
こうした、数々の理にかなった支援を全力でされていた結果、類くんは自分が輝ける場所を見つけることができたのでしょう。

しかしながら、何度注意しても同じミスを繰り返してしまったり、靴紐を結ぶ・自転車に乗るなどの日常的なことでも苦手なことはなかなかできるようにならなかったり、
親の努力や働きかけがつい徒労に感じてきてしまうことばかりの非定型の子育て。
一見理解されにくい特性なため、周囲からの風当たりも強い中💦
将来のことまで見据えて全力で支援し続けるというのは、途方も無い根気とパワーが要ることのように思われます。

最後に、私がこのご本を読んで最も影響を受け、息子が小学生の頃からずっと励まされ続けてきた泉さんの言葉をご紹介したいと思います。

先ほどの本田先生の動画では、「発達障害、特にASDのあるお子さんは余計な二次障害を防ぐためにも、小学校中学年高学年くらいまでは温室育ちでいい」と仰っていますが、
特性からくる、本人の「わがまま」とも見える子供の行動への対応も含めて、周囲からは「親が甘やかしている」と思われてしまいがちです。

泉さんは手記の中で、
「特に、毎日のように当事者本人や、その親と接している人ほど『努力が足りない』という目線で見てくる傾向があった」
そして、
「自分の子供の得意な部分、良い部分を他人から見て『すごいね』と言われることもあまりない。親も本人も褒められることがないと気持ち的に『報われない』と感じる。」
と仰っています。

少し脱線して個人的な事になるのですが、私の息子が幼稚園〜小学生の間は特に、他人のお子さんをよく褒める機会がありました。
褒めるような場面に居合わせることが多くあったからです。

「学校行事で代表に選ばれた」とか「近くで習い事の発表会があるから見にきて欲しい」とか、「お子さんの昇級を報告された」などがよくあったからです。

「すごいね」と褒めるということは、そうか、「毎日頑張っていたことが報われた!」という肯定感情を相手に与えることになるんだな、って読んでいて気がつきました。

定型のお子さんであっても子育てはみなさん様々な悩みやストレスを抱えながら頑張っているのだと思います。
子育ての同志たちに「すごいね」って声をかけてあげる役割が、自分にも巡ってきたことを「よかったな」と素直に今は思うことができました。
また、時としてあまりにできない息子と比較して内心卑屈になってしまった場面もありましたが、悟られぬよう振る舞えた自分に安堵もしました^^;

子育ては結果が見えるまでがとても長いので、報われないと感じることも多い中、途中途中のご褒美として、そういう「ささやかな労いの花束」を気軽に贈りあえる環境に、世のお母さんたちがいて欲しいなとも思いました。

話は戻りますが、通級に通うまでは、悲しいかな、息子はそういう「人に褒められる場面」は思い出せる限り一つもありませんでした笑
小学校ではむしろ「みんなできていることが1人だけできない」というシーンばかりでした😓

泉さんは「発達障害の子たちは、褒められたり羨ましがられたりする場面はあまりないまま育っていく。それは親も同じ。むしろ『もうちょっと〇〇したほうがいいんじゃない?』と、善意のダメ出しをされながら子育てを続けていく」と書かれています。

ご本をここまで読み進めて、これまでの経験が思い出され胸が苦しくなってしまう親御さんは少なくないと思います。
しかしここにきて泉さんのパワーワードが炸裂するのです。

くそぅ、今はお前がそう思っていても、20年後に笑うのは私だ

その言葉は、
「私は子供にとってベストな選択をしていると自負している。他のみんながこうしているからとか普通はこうだからという尺度ではなく、自分の頭で考えて選択している。」という真意から出た言葉であると同時に、泉さんのそうした真意を周囲からは理解されず、心が荒んでいたから出てき心の闇でもあったのだそうです。

この部分の文章を読んだ時「周囲にいい反応をされない中、通級を選択し通い始めた当時の自分の心情」とぴったりとリンクし、
以来「20年後に笑うのは私だ」は、私自身の心の波風を落ち着かせ、また落ち込んだ気持ちを鼓舞する言葉として胸に定着していきました。

私自身にも何かしらの特性があるためなのか、私は、若い頃からこれまで「点」で生きてきたような感覚があり、息子を育てるにあたっても、今日明日か来週か、よくても2〜3年後くらいまでしか想像することができませんでした。

「同じクラスの子たちができる●●ができないから、授業で取り組んでいる間には少しはできるようになりたい」とか
「高学年になるまでにはこのくらいのことができるようになっていてもらいたい」とかくらいの事しか想像できなかったのです。

そして、当時頑張って読んでいた本なども、現時点での困りごとを解決していくための本が多かったです。
それはそれで、必要な知識であったと思います。
ですが、泉さんは本書を通して「あなたの子供がどんな社会人になるか想像してみて」と何度も語りかけてきます。

当時の息子は小学3〜4年生だったので、20年後といえば30歳近くになっています。
発達障害のある方の精神年齢は七がけだとよく耳にしますが、私も息子には30歳くらいまでには自立してほしいなと漠然と思っていました。

この本を読んでから、私は初めて息子の成人後を真面目に想像しました。
その時どうなっていたら彼は幸せなのだろうと。
そしてそのために今できる最善の策を考えたとき、自分が通級を選択したことは正しかったのだと「検算」をしたような確信を持つことができました。
自分の選択に確信を持つというこの感覚は、場当たり的に生きてきた私が生まれて初めて感じたものでした。

体育の授業で息子だけできないことがあるとか、1人で買い物にいけるとか、親に用事がある時は少しなら留守番ができるとか、習い事で級が上がるとか、
みんなが出来ていることが全くできない現状への焦りやフラストレーションも、
20年後という子育てのゴールを想像すると、途端に近視眼的で些末なことのように感じられました

通級に通っていることを周囲にオープンに言えたことも、この言葉の効果が大きかったと思います。(中学受験が念頭にあったことも影響していますが^^;)
長い人生と見比べた時、小学校はほんの一瞬だけ通り過ぎる場所
無理に取り繕って普通を装う道理はありません。
息子の心を守ることと、対人スキルも含めた、息子の成長に必要なことへのみ注力しようと腹が決まりました。
そして私自身も、クラスのお母さんがたに息子に関して何か思われていたとしてももういいや、と割り切れました。


またゴールを20年後に据えることで、「ゆるやかに見守る」ことができるようになります。
この「子供の成長をおおらかに見守ることができる」というのは、お母さんの度量の広さとか性格とかによるものは勿論あるでしょうけれど、「視点を遠くに向ける」ことがコツなのかな、と思いました。


今回は「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由 (栗原類 著)」を読んで、特に印象に残った部分だけに絞ってご紹介させていただきました。
他にも多くの参考になる情報や実体験が詰まっていますので、興味を持たれた方はぜひ一度お手にとってみてくださいね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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