前回までの記事
小学校の宿題「辛さの理由・取り組み続けた理由」
ラズくんがどういった経緯で通級指導教室に通うことになったのかは、長くなってしまうので、ここでは簡単な経緯を説明させていただきます。
私が行動をおこした直接のきっかけは、宿題や運動ではなく、
小学校の担任の先生からコミュ力について指摘されたことと、
クラスのお子さんから暴力を受けてしまったことでした。
暴力を受けたときは顔を殴られて鼻血が出て服が血で染まりました。当時2年生だったラズくんには、厳しい出来事でした。
幼さのあるラズくんは、普段から、しっかりしたタイプの女の子や、活発なお子さんからバカにされることはありましたが、いじめがあったという訳ではなかったです。
暴力をふるってしまったお子さん自身、抱えている問題があり学校も対応に悩んでいるようでした(詳しくは割愛します)。
担任の先生はとても真面目で努力家だと感じる方でしたし、理解のある小学校だったと今でも思っています。当時「合理的配慮」という言葉を耳にするようになってきた頃でした。
前回の記事で、宿題で苦しんでいた描写を「3年生の頃」と書きましたが、
登校しぶりも含め、1年生の頃から3年生まで、同ような状態がずっと継続していました。
宿題は、1年生の頃は、特にひらがなの練習プリントなど、やはり字の練習系に拒絶反応を見せていました。
時系列をうまく説明できず……すみません。
ラズくんの拒否反応は、私の対応の不味さが引き起こしているものなのか?
ラズくんの我慢が足りない「努力不足」みたいなものなのか?
それとも反抗期系のもので、誰しも多かれ少なかれ通る道みたいなものなのか?
「この状況は一体何なのか?」と、当時はどう捉えていいのかがよく分かりませんでした。
そんな2年生のある時、授業参観がありました。
授業の様子を見ていたら、後ろからお母さんたちの会話が聞こえてきました。
宿題多すぎない?! 今日文句言ってやろうと思って!
衝撃でした。
宿題多かったの?! みんなも大変だったの?!
てか、文句なんて言えるものなの?!
ラズくんの宿題に対する苦しみは、特におかしいことではなかったのでしょうか?
私が大げさに捉えすぎていただけなのでしょうか。
そもそも、宿題の量が多いということを、何を基準に判断し、主張できたのでしょうか?
兄弟など、比較対象があったのでしょうか。
ますます混乱し、わけが分からなくなりました。
そんなことがあった中、流血事件がおきました。
ここからは、ラズくんの発達検査でわかったことを書きます。
ラズくんの特徴を示すために、詳しく書かせていただきます。
私は当時は特に何も分かっていなかったので、読まれた人によっては嫌な気持ちになったり、呆れてしまったりするかもしれませんが、その時はそっと閉じていただけると助かります。
通級での面談で相談したこと
ざっくりと、上に書いたような経緯を経て、2年生の夏くらいに通級へ繋げて欲しいとお願いしました。
実際に受け入れていただけることが決定したのは3年生になってからでした。
ラズくんのこれまでの成長の履歴、親の面談、ラズくんの発達検査など、3年生の前半を使って丁寧にアセスメントしていただき、後半から個人指導とグループワークが始まりました。
最初の面談では、ラズくんが辛いことや困っていることについて、私の話を聞いていただきました。
担任の先生にコミニュケーション能力について指摘されたことや、幼児期から発達に不安があり、検査をしていただいたけれど「様子見」だったことを伝えました。
そして普段からラズくんが困っていることや苦しんでいることを箇条書きにしたメモを持って行き、多くの困りごとのうちの一つとして「宿題に苦しんでいること」を相談しました。
この記事では、「宿題」にスポットを当てて書いていきたいと思います。
小学校の宿題は主に「漢字練習」でした。
新しい漢字を習うたびに、漢字一文字につきノート1ページを使い、
「書き順や一行ほどの漢字の練習、次に熟語をいくつか並べて書き、残った行を使ってその漢字を入れた短い文章を作る」というものでした。(TOPの写真はラズくんの宿題です)
1日に1ページのときもありましたし、数日空けて2〜3ページというときもありました。
きっと多くの小学校でこういった宿題が出されるのではないかと思います。
ラズくんの通う小学校でも頻繁にこの宿題が出され、ラズくんを苦しめていました。
ラズくんの苦手さが「情緒的な問題」からきているのか、それとも「読み書きの苦手さ」からきているのかがはっきりしなかったため、詳しく検査をしていただくことになりました。
特性から見た、宿題が辛かった理由
検査の結果で有意に低かったのが、「処理速度」と「ワーキングメモリ」でした。
どちらも信頼区間70台から90台前半という、平均よりも低めの数値ということでした。
「処理速度」というのは、繰り返しの作業を早く正確にできる能力ということです。
それが低いので①「漢字を繰り返し書くという行為からしてすでに苦手」ということが分かりました。
「ワーキングメモリ」は数字や単語の組み合わせを一時的に記憶する力とありました。
その能力が低かったことに加えて、ラズくんは
「意味の伴わないものに対して興味を保てず、集中力を無くす」という傾向もあったようです。
この特性なのですが最近読んだ本、
『ワーキングメモリと特別な支援: 一人ひとりの学習のニーズに応える(湯澤 美紀 他)』
によると「単語を機械的に覚えることに関心を示さない」という自閉症スペクトラムの症状に、ラズくんが受けた指摘がぴったり当てはまるような気がしました。
まあ、それはともかく、ラズくんには「機械的な暗記が苦手」という特徴があるのは確かなようです。
また、見て考える力である「知覚推理」は平均でしたが、その中で「手本を見て構成する作業がやや苦手」とありました。
それが、「偏(へん)や旁(つくり)など、パーツの組み合わせで漢字を捉えることの苦手さ」につながっている可能性があるようでした。
まとめると、
①「漢字を繰り返し書くという行為からしてすでに苦手」
に加えて
②「一時的な暗記が苦手」
③「そもそも機械的な暗記に興味がなく、集中を保てない」
④「漢字のパーツを視覚的に捉え構成するのが苦手」ということが分かりました。
最後に、⑤高かった「言語理解」とのバランスです。
言語理解が高く処理速度が低い子は「このくらいできるだろう、という自分の予想を下回る成果しか出せないため、自信を失いやすい」※のだそうです。
ラズくんのできる部分を見て、「ノート1ページの漢字練習くらい簡単にこなせるだろう」と無意識に予測をたててしまうのは、私たち大人もよくやってしまうことです。
これで見た目が幼稚園児だったら「可哀想だからやめておこう」となるのにです。
前述の『ワーキングメモリと特別な支援』という本では、「7歳児の下位10%のワーキングメモリの平均は、4歳児の平均よりも下回る」とあります。
ラズくんのパーセンタイルは、ワーキングメモリも処理速度も下位10%ほどでした。
外見は7歳児で、しかも言語理解は平均よりかなり高いので、もしかしたら10歳児くらいに見えてしまう瞬間があるかもしれません。
それなのに、成果として見えやすいものが、4歳児くらいのレベルでしかできないことに「怠けているのではないか、ふざけているのではないか」とつい怒りが湧いてしまうのです。
2017年に参加させていただいた講習会『学習障害について 専門家・保護者の視点から』でも同じような例が挙げられていました。
『周り(親)が子供の高い言語理解の部分に目がいって障害を認識できず、その子は支援に繋がれなかった。最終的に可哀想なことになってしまった……』
というお話がありました。
(どうなったの?!😨 と当時怖くなりました。二次障害でしょうか)
これは、ラズくんのようなタイプの子供がとても陥りやすい状況だということでした。
長くなりましたが、このような、いくつかの要素が絡み合った結果が、当時のラズくんの辛さの正体だったのではないか、と考えています。
※…『令和3年度発達障害者支援事業 ぽぽむ講演会「もっと知りたい発達障害のこと~本田先生がみなさんの質問にお答えします~」≪後編≫』という動画内で本田秀夫先生が仰っていました。youtubeでご覧になれます。
検査の結果
WISCを受けた後、言語評価の検査も4つほど受けさせていただいたようで、それぞれの結果も残っています。
検査はたしか、3日に分けてやっていただきました。
それぞれの言語の検査については詳しく分からないのですが、
「字形を捉えることに苦手さがある」こと以外で大きな困難さは見られないとのことでした。
最終的に担当の先生は
「確かに書字に苦手さはある。けれども家庭での工夫でなんとかなるレベルである」
という結論を出してくださいました。
「それで、どうする? 通級に通いますか?」
ときかれ、とまどいました。
私は、恥ずかしながら、発達検査を受ければ
「ラズくんは発達障害です。ですので通えます」もしくは「遅れはないので必要ないです」という
どちらかの回答が得られるものとばかり思っていました。
通いたい。
でも通って良いの?
「通うほどではないから、できれば家庭の工夫で乗り越えてほしい」という意味なの?
物差しがない、振り出しに戻ってしまった感覚になり、答えあぐねた末に
「できないことがありすぎて、今のクラスでついていけるのかも不安に思っている」
と、私は答えました。
情けない事に、心底そうとしか答えようがありませんでした。
すると先生は
「ついていけるかいけないかではありません。学校はどんな生徒にも合わせる義務があります。集団について行けない子だから支援を受けるわけではありません」
と少し厳しい口調で言われました。
私は涙が出そうでした。
「通ってみたらどうですか? 通って一緒に頑張っていきましょう。基準のようなものがなくて、判断できなかっただけだよね?」
と言ってくださいました。
基準というものは、当事者の中にのみあったのだと、今になって判ります。
ですがやっぱり、私には判断が難しかったです。
(この感覚が、伝わるかわかりませんけれど。。)
その時の私はまだ理解が浅く、「ラズくんはやはり困難さがあったのだ。それを認めて受け入れてくれる場所があったのだ」という安堵感と、
「この場所で状況がよくなっていくように頑張れるんだ」という希望に、ただ浸ることくらいしかできませんでした。
ここに至るまで、
通級に通おうとしていることを伝えると、私の身の回り全員に反対されました。
とくに夫、次に実母、そしてラズくんを小さな頃から知っているママ友、全員にです。
(ママ友さんは私への気遣いからかもしれません)
初対面の区役所の職員の方に「障害なんてなさそうに見える。決めつけるのはよくない」と言われたこともありました。
それだけラズくんは、困りごとがなさそうに見えたのかもしれません。
通級では、書字ではなく別の部分の困りごとを、情緒クラスに通いながら崩していくことになりました。
余談ですが「家庭の工夫でなんとかなる」の言葉に、
いつもの癖が出て俄然燃えてしまったのを覚えています^^;
メラメラ!
前に進んでいるのかさえも分からず、長年モジャモジャとあがいていたところに、こっちに行けばいいよ!と声をかけてもらったようなものでした。
進むべき方角がわかったのなら、あとは進むのみだと思いました。
また長くなってしまったので、もう一度切りたいと思います。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
続きはこちらをどうぞ
小学校の宿題③「小さな変化でとても楽になったこと」
小学校の宿題④「漢字定着のための工夫」
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